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2009年 06月 07日
4月に一度ログを書きましたが、ずっとこのままというわけにもいかないと思いましたので、一旦このブログは終了したいと思います。
なお、決定しているわけではありませんが、ここで書いてきたような学校時代の思い出などを綴る機会は、近々新たに開設するブログに場を譲ります。 ホームページからだと5年、ブログとしては4年半、長い間、ご覧戴き有難うございました。しばらくはこのまま残します(いきなり完全閉鎖するかしれません、ご了承ください)。 2009年6月 my sweet school days 管理人 瑠璃カケス 2009年 04月 19日
大学のオケ(オーケストラ、管弦楽団)に入ろうと意を決し、説明会にも行った。練習見学にも行った。アンケートには「バイオリン希望」と書いた。
そして、入部説明会にも行った。この時点でもう殆ど気持ちを固めている・・・つもりだった。だったのだが。 入部希望の同志に馴染めない。 まずは、その圧倒的な女子学生シェア。女だらけの環境など、高校のときのウタゴエ部で慣れているはずだったが、あのウタゴエ部が良くも悪くも「馴れ馴れしい」感じがあったのと対極的で、お互いに話をしようという気が全く起きない。加えて、高校までは田舎くさい感じが親和性を促進していたのに対し、この女子群はなんというかお嬢様系で、なにか主従の関係すら漂うのである。お嬢様と書いたが美人が多いという意味では決して無い。 男子はというと、今の記憶であるが弦楽系では私を含めて3人ぐらいしかいなかったようだ。やや大人しい雰囲気ではあったが普通には話せたと思うので彼らが嫌だ、ということはなかった。しかしいわゆる「明るいバカ」も皆無で、息が詰まる感じがした。 ともあれ、とりあえず体験入部となり、練習ルームで、はじめてバイオリンを持たせてもらった。肩の凝りそうなポーズで弓を弾いてみる。油の切れたドアが開く時のような、情けない音しかでない。それは仕方が無いかな、と思った。 それよりも、この体験入部の際、4年生の先輩男女2人(後で分かったが団長とコンサートマスターだった)が、新歓コンパの話をしていたが、冗談ではあるだろうが「潰してやる」と言ってて、たったそれだけなのに私は完全に怖気づいてしまったのだ。今でこそ酒大好きな瑠璃カケスも、さすがに18歳当時は大酒も飲めず、無茶な酒は徹底的に回避したい気持ちでいっぱいだった。「オケにいたら、潰されるかもしれない・・・」誰に言うとも無く、そのごの練習でも一人でビビっていた。 その後、はじめてオケの合同練習を見学した。顧問の先生がタクトを振るって、6月の定期演奏会で演奏されるであろう楽曲をやっていた。 この時間が異様に長かった。まず、「このオーケストラは素人から見てもとてつもなく下手だ」ということに改めて気づかされた。原因は金管楽器系。実際、先生に何度も何度も止められて、豆腐屋のラッパでも間違えないフレーズを屁のようにすかしていた。弦楽器のほうは良し悪しが分からなかったが、そんなことよりも「チームとしてやっていけるのか」余計に不安に思った。 時間の経過が遅くてだるかった練習も終わりとなって、ヤレヤレと思っていたところで、先生が「今度は新入団員の歓迎会ですね、楽しみにしています」と言ってたのでまた思い出した。そうだ酒から逃げないと・・・この日1日で、もう、オケに入部する気は無くなった。 日が経たないまま、結局私は入る気が無かった筈の男ウタゴエ部に正式入部することになった。オール男で1年生部員が全員同じ学部という要素は、デカかったのだ。高校までの合唱経験もあって、入部は非常にスムーズにいった。男部も実際はそうとうキテる感じの先輩が多かったが、オケの上から目線的な雰囲気はないだけ、ストレスフリーだった。 一方、オケの方は部室へ赴き、団長に入部取り消しを願い出た。即時OKが出たわけではなかったが結果は当方の申出を尊重して受理してもらった。ここまで書かなかったが、オケには、高校のウタゴエ部出身の先輩がいて(4年生、ビオラ所属、高校のウタゴエ部はソプラノ所属)こちらの慰留が強かった。私としても、その先輩を頼りにいろいろ話を聞いてもらっていたし、申し訳ないとは思っていた。その他にも、わずかながら残ってほしいと言ってくれる先輩もいて、勝手ながら「ああ、中には血の通った人もいるんだな」などと思った。 そういうわけで、管楽器→合唱→弦楽器の音楽三段跳びプランは短命に終わった。とくべつ合唱が好きというわけでもなかったのにまた続けてしまったが、結局、音楽がどうとかというよりも「仲間(友達)がほしかった」という気持ちが強くて、新たなチャレンジを拒んでしまったことになる。 入学式でヘンデルの「ハレルヤ」を演奏してたオケは、4年後の卒業式典でも同じ「ハレルヤ」を演奏していたが、入学時とは比べ物にならないほど滅茶苦茶下手糞になっていた。定期演奏会でも誰も知らないマイナーな作曲家の楽曲を引っぱり出してきたり、先述のコンサートマスターが演奏会当日になって急遽変更になったりと、迷走を極めた。 それでもお構い無しにそのまま入部し、バイオリンでドレミを奏でることができていれば後悔することはなかっただろうか。今になっては、もう想像することもできないでいる。 2009年 04月 03日
今から17年前の1992年(平成4年)の4月、私、瑠璃カケスは大学生となった。
大学時代なんてごく最近のことだった、などと思っているうちに、とんでもなく遠い過去になってしまっていた。なんせバブルの頃だ。あの頃はインターネットもケータイもなく(ポケベルも入学当初は誰も持っていなかった)、緑色の公衆電話でテレホンカード使って電話するのが当たり前という時代だった。今回は電話とかテレホンカードの話はしない。前やったような気もするし。 ところで、大学の春、といえば、やりすぎじゃないかとも思う「サークルの勧誘」である。 唐突ではあるが、今回はサークルのことを書こうと思う。 * 中学で吹奏楽部、高校で合唱部(このブログではウタゴエ部と呼んでいた)として、わりと音楽に親しんできた瑠璃カケスであるが、大学に入ってもサークル等でその音楽を続けるかどうか、やや迷いはあった。ゴルフ部なんかも考えていた。あれはなんだったんだろう。 一方で、いくつかのサークルで勧誘を受けた。「飯をおごるから話を聞いてほしい」という人が結構いて、実際タダ飯を食った(学生食堂のランチである。最初から不味かった)。その後勧誘の電話もいくつかあったが、ヨット部とか絶対入らないところからだった。何で名前書いたんだろ。 どちらにしろ、サークルを通してでもいいから、友達を作りたかった。もう孤独で孤独で、キャンパスの通路がサークル勧誘のみならず春の賑わいが際立つほど、居場所の無さを憂えた。迷ってる余裕はなかった。 実は、入学式直後に勧誘を受けたのは男声合唱のサークルだった。最初は、「あ、まあいいか男だけのウタゴエでも」と思い、いろいろ考えたうえで、とりあえず練習を見学した・・・が、正直とても地味で(練習場所の教室も暗かった)、先輩とかもヤバそうで、これを4年間続けるのは・・・できれば止めとこう、そう思った。 吹奏楽で管楽器、合唱で声楽、と来ていたので、本命は弦楽器、つまりオーケストラだった。管弦楽団。高校まではまず御目にかかれない、ある意味大学という広い世界の象徴のように、オケのことを考えていた僕は、自分の音楽的ステップアップも考えて、勧誘を受けていないオケの部室のドアを叩いた。入学から10日程度経った頃のことである。(続く) 2008年 10月 01日
「ここに書くのも久しぶり」が恒例だ、なんていう間に、世間では発足したばかりの内閣の一大臣が在任期間5日という合宿並みの速さで辞任する騒ぎが起きた。「ニッキョウソは日本のガンだ」など、ニッキョウソを徹底批判する発言を続け、辞任した後もその発言、姿勢を撤回しようとしない。肯定的に言えば「貫いている」。インターネット上では彼を擁護する意見も少なからず見受けられる。個人的にはその意見の是非云々より「別にこんな時に言わなくても・・・」という気がするが、どうだろう。
さて、槍玉に上がっているニッキョウソ。日本の教育をダメにしたとまで言われるこの集団・・・なんだそうだが、実は30ウン年生きてきて、ニッキョウソがどういうモノなのか、実はよく知らない。知らないし知ろうともしなかった。 イメージとしては「赤い思想を持ったセンセイ達の集まり」「もう古い人」「あんまりセンセイとしての仕事をしない」というところか。数年前だが本の配達の仕事をしていた瑠璃カケスはニッキョウソのアジトにも出向いていたことがあった。古汚い建物の2階で、垢抜けない感じの男女2人が暇そうにしてた。金払いは今ひとつよくなかった。社民党のポスターが貼ってあった。 * 昔は、ニッキョウソのセンセイは結構いた、らしい。しかし私瑠璃カケスが知っているニッキョウソのセンセイは、2人。うち1人は、よく覚えている。今から20年も前、中学1・2年、隣のクラスの担任だったミシマ先生だ。 体育の先生だった。特別授業にならない授業をしていたわけでもなく、普通にバレーもサッカーも陸上もやっていた。クラスも異色という感じはなく、言われなければニッキョウソのセンセイだなんて分からなかった。ただ、体育にしては楽な授業だった。瑠璃カケスは運動音痴なので体育が嫌いだったがミシマ先生はわりかし好きだった。 中学の養護教諭で校長よりも威張っていたトラバアという嫌なやつがいたが、ミシマ先生はそのトラバアとも果敢に口論していた。クソトラバアに立ち向かった先生なんてミシマ先生ぐらいじゃないだろうか。偶然にもミシマ先生とトラバアは同じ年度で学校を去ることになる。トラバアはもう死んでるかもしれない。 2年生の時、春の学年合宿の際ダンスを取り仕切ったのがミシマ先生だったが、その時もちこんだYMOのライディーンは今でも忘れられない。ダンスでライディーンとくれば竹の子族だろう、と想起される方は相当中年だと思うが、まさにその通りで、ミシマ先生は中学生の我々に竹の子族ダンスを教え込んだ。他の先生方は反対しなかったのだろうか・・・今思えば、その辺がミシマ先生のニッキョウソ的な片鱗をうかがわせる部分だったのかもしれない。 うちの担任だったヤン先生が、ミシマ先生はじめ同学年の先生たちとカラオケに行った時のことを「ミシマ先生は・・・上手いとは言えんが、元気だけはあるんだよな」と話していた。 そのミシマ先生、離任式の際、挨拶もほどほどに「上手いとは言えない元気だけある」姿で歌い始めた。あれは歌ではなかった。遠吠えするサルのようだった。もちろん、何を歌っているか分からない。 音程も無茶苦茶な、ミシマ先生の歌う姿に・・・斜めから見ていた私は、涙をこらえるのに必死だった。もうちょっと上手だったら、そんな寂寥感を抱く事もなかっただろう。 在校中、車の追突事故に遭い負傷したミシマ先生だったが、今も元気にしているだろうか。もし今でも教職を続けられているとしたら、やはりまだニッキョウソに籍を置いているのだろうか。 * 便利な世の中だから、ニッキョウソのことを知ろうと思えば簡単にキーワードを拾えるだろう。だけど先述のとおり特に知りたいとも思えないし、ミシマ先生のことを思い出すと、なんだか、あんまり悪い方向に想像したくない、というのもある。 世の中に疎まれるのではなく「称えられる」センセイが、もっと増えてほしい。そうなれば、子供たちの未来も自ずと開けるんじゃないかなあ。 2008年 05月 18日
3年ぶりに高校の卒業アルバムを開いた。
![]() 1992年卒業だから、このログを書いている時点では既に16年の年月が経過している。16つったら俺ら卒業した時に生まれた連中がモロ高校生してるわけだ。そう考えるとこうやってアルバム見て当時を思い出すのも隔世の感がある。あの辺にオッサンオバハン言われても、言い返せないんだなあ。 さて、アルバムである。教職員の教科別写真に続いて、高校時代のイベント(文化祭、体育祭、修学旅行)、各クラスごとの見開き特集、そして全員の名前付き写真。小学校や中学校のと比べて写真の印刷具合がいい。画像加工してあるんじゃないかな、というぐらい見栄えよく映っている(人が多い。リアルに再現されてるのもままにいる)。 卒業アルバムを見るときは、勿論当時を懐かしむためでもある。ユーミンの「卒業写真」的世界だ。悲しいことが無くても表紙を開きたくなる。そんな時があってもいいじゃないか。 しかし、これは特に男連中の暗黙の了解というか、我々は常に清い心を持って写真の向こうのみんなに会うわけではない。卒業アルバムも、時にエロ本と同じになるのだ。 だいたい考えてほしい、高校の3年間、身近に女子がいて、そんでブラ透けとかパンチラとかに遭遇しないわけがない(男子校出身の諸君、スマン)。デジカメとか持ってないくせに、記憶媒体は僕らの脳内にあって意外に精巧に動いている。家に帰って勉強もせずに今日のエッチなハイライトを浮かべてズボンを下ろす。今日と書いたが、記憶媒体なのだから先週だろうが先月だろうが2年前だろうがすぐに引き出しを開けて準備ができる。そんなもんなんだ男子というのは。 そんな思い出がギュギュギュウッッッッピュッと詰まったアルバム。なんと胸ポチが見えたあの子の写真が手元に!という売り文句をつけたいものだ。女の子もマヌケなやつはしょっちゅうスカートが無防備になるから、同じクラスだった男子のシンクロ率は高い。案外アルバム開いて同じ子にお世話になるものだろう。違うかな。 漫画家の喜国雅彦が自著の4コマで「俺、アルバムの写真見ながら毎日1人ずつオカズに使って全員斬りするんだ」というネタを披露していたが、オオゲサとはいえチャレンジャーは必ずいると確信している。ちなみに本作では途中ブスでつまづいて挫折していた。どうしても抜けないとか。閑話休題。 個人写真のみならず、イベントフォトでもなかなかの具材があったりする。体育祭とか。今のようなハーパンではなかった時代だけに、ケツも転がっているものだ。アルバム製作の写真屋はそんとき一杯ネタ撮ったんだろうな畜生と思わざるを得ない・・・が、我々のアルバムの体育祭は正直今ひとつだった。一つ上の先輩のアルバムなんか、ケツ大集合だったのに。自粛がかかったんだろうか・・・。 そんなわけで、懐かしむというより、「卒業アルバムもらったら即使用」という、煩悩のかたまりには絶好の餌場となってしまうのだ、アルバムなんて。さすがに高校を出て大学だの社会に移れば童貞も捨てられて、記憶装置も役に立たなくなって、アルバムを穿った目で見なくなるようになるかもしれないが。俺も大人の男になったな ふ。と思っちゃうかもしれないが、ハタチ過ぎても女とよろしくやっててもオナニーやめるわけではないのだから、大して変わらない。 「あの頃の生き方を あなたは忘れないで」ってユーミンも歌ってる。男はあの頃を忘れないが、女子は早々に蝶となり羽ばたき、青春の一ページに閉じ込めて忘れてしまうであろう。しかし、三十路を越えればみんな固太りして劣化の激しい連中になるのだから、今こそ純粋にアルバムを懐かしみたいものだ。すげえ強引。 次回はもうちょっと叙情的な内容でアルバムに迫りたい。続く。 2008年 02月 23日
現在、通勤通学などで電車を利用されている方は多くいらっしゃると思う。私瑠璃カケスは通学は電車で、通勤時は殆ど車を利用していた。
通学時の4年間は近郊型の横長イス電車で、できるだけラッシュを避けて乗っていた。 ただ座りたいが為。途中の駅でえらい勢い(ローカル註:高蔵寺・春日井・勝川)で車内もきつくなり、サラリーマン諸君が狭そうにつり革掴まっている下で悠々と座席で居眠りする学生の俺様。腹立たしい様に見えたであろう。 * 瑠璃カケスの自宅から、最寄の駅まで行くにはバスで20分以上はかかった。 バスに乗れるだけでも喜んでいたぐらいなのに、さらに電車を使うことが少ない家だったので、電車に乗れると聞いた時は前の日からワクワクものだった。いつの時代の小僧だ、という気もするが多分本当である。 ![]() 私が生まれたすぐの頃('70年前半)は蒸気機関車が走っていたらしいのだが、程なく表舞台から降りたため乗ることはなかった。 しかし、日本の鉄道列車の主力は長岐に渡って、機関車、いわゆる汽車であった。汽車が消えたあとも童話や童謡など子供に身近なモノにも「汽車」という言葉が並んでいた。そのためか、親や祖父母は「汽車で行くか」という言葉をよく使っていた。 だが、小さい頃の私には、汽車がなくなったという事実は理解できず、「えー汽車にのれるのー」と、見事なぬか喜びをしたものだ。一度だけではなく二度三度。 ![]() それから、寝台急行の「ブルートレイン」、あれも最初は「青色の電車ならすべてブルートレインだ」と信じていたこともあった。 なので、 ![]() 特急電車など見たときは衝撃的だったし、新幹線に至っては10年に一度しか乗れないと思っていた。 大人になって、新幹線は乗る機会も増えたがそれでも夢列車だと思っている。地方を走る特急などの方も、あまり乗ることはない。ごく稀に乗車すると、いつも普通電車で通っている路線を早々と駆け車窓がどんどん流れていく様に、戸惑いを感じる時もある。 ここしばらく鉄道と縁遠い場所で暮らしてきた私にも、また切符を買って電車に乗り込む時がやってきそうだ。 ・・・でも最近ICカードとかケータイでも電車乗れるらしいんだよなあ。信じられん。 2008年 01月 04日
2008年(平成20年)1月4日。瑠璃カケスは34回目の誕生日を迎えた。
以上。 ・・・自分で書いてても何か虚しいものはある。上手な年のとり方とか全然考えていなかった。そういうライフプランニング的な愚痴は、やめておこう。 それよりも、誕生日である1月4日。 時は学校は冬休み期間なおかつ正月明け。言ってみれば最悪である。ケーキは無い。誕生日プレゼントはお年玉で誤魔化される(逆に「内祝いだ金くれ」などと家族に言われる始末)。男だからいいんだけど同級生の誰も遊びに来てくれない。 あるとすれば、4日に、名古屋の母実家に遊びに行く(毎年必ずではないが、だいたい4日)のが楽しみだったが、初期の頃はついでにカニ料理専門店(かに道楽・かに本家)にも寄っていた。 瑠璃カケスはカニが大嫌い(身体が受け付けない)なのである。 そういう自分が食えないことを知っててわざわざこの俺様の誕生日に行くこと自体、家族全員頭がおかしいんじゃないか、と今でも思っている。店に行っても瓶のオレンジジュース飲んで生簀でウヨウヨ彷徨うカニの姿を見てオワリ。カニって死ぬほど臭いから腹が立つ。 6月とか2月とか、あんまりイベント(具体的には祝日)の少ない月に生まれたかったと思うがそれを憂いても致し方が無い。よく1月生まれだと目出度いねえなんて言われるが目出度いのは手前のほうだと口酸っぱく諭したいところである。 ・・・落ちが無いのだが、この記念すべき日に久々更新。誕生日は、1週間前までには家族にリクエストを仕込んでおくべきである。正月生まれの少年少女諸君、くじけるな。 2007年 07月 22日
諸事情で、というより本格的にネタが尽きてきた感もあるし、もともとグダグダなこのブログ、どうにかしなきゃならんと思っている瑠璃カケスである。着地点を決めて更新終了としたいところだが、そのネタも無い。
恥垢とワキガ臭の混じったバカエロ全開なネタでも書き散らかしたいものだが、このブログを開始した時ほど私も勢いよくオープンに書くのも躊躇われる。ともあれ、そんな気持ちだけはあるってことだけは理解していただけたらと思う。いや無理に合わせなくてもいいよ。たとえば女子が席を立った直後の椅子にわざわざ座って温度を感じるとか。引くでしょう。それが女を知らない青い男の、真の姿。 思い立ったらまた書くということで、よろしくお願いします。 ![]() さて、DSLiteでもやるか。 2007年 06月 17日
今、ムショウに腹が減っている。
大人である。だから腹が減ってるんなら何か作ればよろしい。それが面倒なら薄っぺらい財布にある500円玉でコンビニまで歩いて食べ物を買えばいいのだ。しかしそれすらしない。したくない。 薄々お気づきの方もいるだろう。単に腹が減ってることをネタに書きたいだけなのだ。この、腹と背中がひっつきそうな思いをしていることを訴えたいのだ。万国の空腹者、団結せよ!! バカバカしくなってきたところで、強引にカップヌー㌦(以下、カップヌードル)の話でもしようと思う。 ![]() カップヌードルの薀蓄については一切省略する。食べたことがある方がほとんだと思うし、今でも時々食べてる方、あるいは毎日食い続けている方までいるかもしれない。それを咎めるのは、いくら栄養が云々でも味気ない話である。 個人的にはボンカレーよりは飽きの来ない味、だと思っているがどうだろうか。 安いとこなら100円ちょっとで買えるカップヌードルだが、まさか子供の頃から手軽に食べいたなどという方はいるのか。いないだろう、と信じたい。少なくとも、私、瑠璃カケスにとっては、値段の問題だけではなくカップヌードルは貴重な味だった。 まず購入の問題。子供の行動地域など、たかが知れている。自転車に乗れるようになっても、家から範囲1kmを超えることは、まずない。しかも、どういうわけか行きつけの駄菓子屋以外には足を踏み入れない。スーパーがあっても、たかだか100円しか持っていないのに行ったところで何ができるというのか。 駄菓子屋にも、きっとカップヌードルぐらいはあっただろう。しかし、そこは子供も浅はかなもので、目の前にある10円か20円そこらのクッピーラムネかコインチョコ、ソースせんべいのほうが食べたくなるし、そもそも値引もされていない駄菓子屋のカップヌードルを買うだけの金は、無い。2日3日お金を使わないでおけば帰るだろうが、それは子供には無茶な話である。 仮に金銭的な面をクリアしていたとして、今度は無事に家で食うことができるのか。 そんなに甘くはない。午後3~4時ごろに小腹を満たすお菓子の代わりにカップヌードルを食うガキを親が許すだろうか。これ食べちゃったりして夕ご飯のさばの味噌煮を残すようなものなら烈火のごとく怒られるであろう。ここぞとばかりに栄養面で激しいエクスキューズが待っている。仕方ねえだろ今日の夕飯不味いんだから、と本気で思っても、さすがに説得力に欠けてしまう。 あと、火(コンロ)を使わせてもらえないなど。魔法瓶がまだ珍しい時期であり、いちいち湯沸しを利用するかヤカンで沸騰させるか。子供が使うに危ないのは、認めなくないが事実である。 そんなわけで、食えない。もう、親の気まぐれに委ねるしか、ないのだ。昼飯が準備できないとか、奇跡が起きないと難しい。 今でも覚えているのが、冬場、スケートリンクに連れてってもらった際、自販機のカップヌードルを食わせてもらったこと(スケート場に連れてくれるのは父親であるが、食い物に関しては結構アバウトで大抵リクエストオッケーだった)。冬の寒い中、熱々のカップヌードルをズルズルやるのは、夏仕事が終わった後のビールよりも最高だった。頻度の問題かもしれないが。 そういえば自販機でハンバーガーを売ってたこともあってネ申の置き物に見えた。次元が違うので割愛したい。 ![]() カレーとか(後に定番となる)シーフードとかバリエーションがある中でも「やっぱり本家(しょうゆ味)が一番だね」という意見が強いと思う。そのわりにカレーヌードルの残りで米飯食ったりしてるんだろと激しく糾弾したくなるが嘘である。 いずれにせよ、あの麺、タマゴ、ネギ、肉(実は大豆)、エビ・・・は金ちゃんヌードルだったか・・・など、全部がインチキなのに、わざわざインチキを求める様は「ラーメン」ではなく「カップヌードル」を食べたいのである。断言。少し子供話からズレてきたぞ。 この星で200億個食われてきたカップヌードル。そのうち私は、そして皆さんは今まで何個のカップヌードルを食されたことだろうか。 んでこれを食べた人はいるだろうか。以前少し問題になってたようだが。 ![]() こんなこと書いていたら大分空腹も収まってきた。いいのか悪いのか。 2007年 06月 02日
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