中学卒業式1989年3月13日

 前回、高校卒業式を思い出してみたのだが、今回はさらに16年前の中学卒業式を回想してみたい。高校のときと違い「受験が控えている」「フラレ気分でロックンロール」など、不安と苦々しさを含んだ、思い出深い卒業式であった。



 実は、私は卒業生代表として答辞を読んだ。

 *

 以前にも書いたが、私は3年の初冬に恋を告白し見事散り果て、一方で無理やり担ぎ出された生徒会長としての職を半ば放棄したことでクラス内外から批判を浴び、まさにズタズタ気分であった。果ては担任のクラミ先生に八つ当たりした。顔も見たくないほどだった。
 3月に入り、とりあえず滑り止めの私立の試験が終わったことで気分が落ち着き、下降気味だった受験対策もなんとか乗り越えた、その時に既に私を勘当扱いしていた生徒会顧問のキシロウ先生から「卒業式で答辞を読め」と指示された。
 各クラスの委員長から集まった原稿と、私が出した原稿を、キシロウ先生がまとめ、仮原稿を作った。それを自宅で私の祖父が本和紙に筆書きし、出来上がった。
 
 そして当日。冷たい雨をくぐって教室へ。
 私は親からカメラを借りて、何枚か撮った。しかしカメラのカバーを開けてしまい、全部パーになってしまった。中には私が恋に破れた女の子の写真もあったのだが(トモダチといいたくない友人が盗撮してくれていた)、見事にムダに終わった。
 まともに口を利かなくなっていた担任クラミ先生ともなんとか話はしたと思う。

 卒業式。淡々と進み、次期生徒会長の送辞のあと、私が壇上にあがった。目録を取り出し、出だしから強い口調で読み上げ始めた。卒業生、在校生とも席を起立し、私の答辞を聞いた。
 さすがは国語教師のキシロウ先生、感入る文章を書いてるなあと、チェックやリハーサルにも思っていたが、今度は私もわざと抑揚をつけあたかも自分が書いたかのように魂を入れた。
 効果があったのだろう。後ろですすり泣きをする連中がいた。こりゃ面白いもっと泣かせたれと思い、私も最後のほうは言葉を詰まらせたりしてウソ泣きを演じてみた。よく見ると目の前で対面して聞く校長先生まで涙している。「あ やりすぎたかな」と思ったが、そのまま突っ走り、答辞を締めくくった。

 やれやれという気分で、教室で適当に話を聞き、校舎から去っていった。翌日、受験説明会があるのでこれまた卒業気分というほどではなかったのだ。

 ちなみに答辞、同級生からは「あれよかったよ長かったけど」「感動したよでも長いよ」と、一定の評価をしつつも15分も読んだ答辞に聞くほうも疲れた、みたいな感想をもらった。俺じゃねーよキシロウだよ書いたの、と言おうと思ったがアホくさいのでやめた。
 誰か先生が答辞をそのまま録音していたようで、カセットテープが親の手に渡った。祖父は何度も聴いて感銘を受けていたようだ。そりゃそうだわな自分の字で書いたやつだもん。もしかしたら実家にはまだテープが残っているかもしれない。私は一度も聴いてないし聴こうとも思わなかった。
 
 あと、教職員異動内示など、すべての学校行事が終わった3月末、慰労会に父親が呼ばれたのだが、その席でキシロウ先生は父に「いやぁ、答辞だけは立派にやってくれました」と言ったらしい。よくもまあ父に言えたもんだと、逆に感心する以外に無かった。

 平成の世に入ったばかりの、卒業式にまつわる話。
[PR]
by lidth-s-jay | 2005-03-13 17:13 | 中学校専用