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ヤン先生のこと(その1)

 1986年4月、中学校の入学式。桜満開の中、校舎前にクラス名簿が貼り出され、同じクラスになったやつと小突きあって笑いつつ、入学手続きみたいなのをしていた。
 
 「ところでセンセイって誰?」
 小学校に続いて同じクラスになったモリが私に尋ねた。そういえば・・・みてないな。あれ?・・・まあいいか、変な気持ちで体育館での入学式を迎えた。
 入学式でも不在。D組の担任、ヤン先生(新任)はいきなり遅刻してきやがった。

 ヤン先生、25才(当時)。担当は技術。従って女子との教科接点は無しだった。なんかエロかった。それは現在のセクハラとは違う、単なる「ドウテイっぽい」バカエロさだった。

 私にとっては今まで会ったことのない人種だったので、接し方が分からなかった。とりあえずいいとこ見せとけと思って生活記録帳(以下このブログでは生活ノートと呼ぶ)で全学連とか安保反対とか意味不明な単語を書いて提出してたら、家庭訪問の際に「友達がいなさそうにみえる」と言われてしまった。確かに友達と呼べる奴はいなかったが・・・。
 
 叱られた。とにかく叱られた。集会の時にモリと小突きあいしてチョッカイしてたら後で体育館の裏に引きずられ蹴られまくった。鼻水ダラダラ出て泣きじゃくった。
 クラス委員長のカゴはもっとボコられていた。ヤン先生は委員長をとことん吊るし上げてた。カゴも泣いてたが、その割にはヤン・カゴの二人でクルマだとかポルノ映画の話で盛り上がっていた。
 
 女の子の受けは最低レベル。とにかく嫌われていた。ような気もするが、思春期だからだろう。ただ、いつもヤニ臭くて身だしなみ0点のヤン先生がとても女子に好かれるとは思えなかったのも事実である。



 2学期が始まったのにヤン先生はやっぱり来ない。イボ痔で入院したのだ。退院後、半日使って闘病記を熱弁するヤン先生。本人は「おしりのエッチな病気」とか言ってた。
 
 一度結婚したが嫁に逃げられたとか、山のふもとのボロい家に住んでいるとか、ステッカーだらけのトレノに乗って夜爆走しているとか、どれが本当なのか、記憶も風化しつつある。多分全て本当だろう。本人が言ってたんだし。 

 一番悪い連中が集まる野球部の顧問まで引き受けていた。ジャイアンツのファンだったのでいつも野球の話でドラゴンズシンパの生徒と口論していた。
 
 まとまりがなくなってきたので続く・・・。
by lidth-s-jay | 2005-04-04 23:16 | ヤン先生専用