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高校卒業式1992年3月1日

 もう13年前になってしまうのだが淡々と、そしてダラダラと振り返ってみようと思う。
 例によって長いのでご了承いただきたい。



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 朝、普通に制服を着てバスで20分、そこから橋を渡って10分弱、国道越しの丘陵の母校の門をくぐる。教室に入ると既に半数以上のクラスメイトがいた。
 私立文系が多い我がクラスでは、推薦も含め殆どの生徒が4月以降の行き先を決めていた。一部国立結果および後期試験待ちもいたが、概ね安堵や諦め?の笑顔を見せていた。



 
 私が無謀な受験をパスしたことを驚く連中が多かった。「お前は落ちる」と散々言われてきた学校に受験4学部完全勝利。しかしそれでも「強気でいけば何とかなるんだな勉強になったよ」とちっとも私を讃えてくれないクラスメイト諸君。国語の先生には「俺のおかげだな」と肩を叩かれる始末。もういい、裏口入学でも何とでも言ってくれ(泣)






 卒業式。は覚えていない。そのぐらいあっさりしていた。卒業記念品はテレフォンカード。「ダイヤルQ2なら一発でなくなるだろ」とみんなと話してたことは覚えている。




 教室で先生の最後の言葉。これまた覚えていないが、他のクラスで涙ボロボロものの講話もあったのに対して、うちは「だめだぁ、面白くなーい」なんてトホホな言い様。聴いていなかった私はなんと言っていいものやら。



 
 全ての公式行事が終わったあと、記念碑や時計台などで記念撮影をする姿。自分ぐらいカメラ持ってこればよかった・・・。結局誰も声をかけてくれなかった
 男子制服のボタン。どういうわけか全部外れている男子もいたが、ヤラセではないかと今でも思っている。




 午後、部活動単位での送迎挨拶。
 私は2つ部活を掛け持ちしていたのだが、まず「ナマモノ部」から立派な花をもらった。少数部活(後輩は3人)なのに貰うことができたのは潰れかけた部活を私が強引に友人を3人引っ張ってきたからだと思っている。
 次に「ウタゴエ部」。こちらは本格的な送迎会卒業生が遺訓を述べていく。終わるのが長くなると察した私は順番無視して自分だけペラペラ話してそそくさに帰った。花束と色紙だけはちゃっかりもらっておいた。
 

 当時私にはずっと好きな同級生(中学からの繰り上がり)がいて、卒業したら私は地元に残り彼女は引っ越してしまう。なんとか卒業式だけでも一緒に帰ろうと思い、探して・・・実はそこから覚えていない。が、部活の送迎会を振り切って帰ったのには、多分時間を合わせて・・・という18才の密かな欲望があったからだと確信している。憶測ではあるが。ちなみに結局片思いのまま、後に思いっきりフラれる結末があったことだけは書いておく(泣)





 夜、再びクラスメイトが集まりボーリングとカラオケで打ち上げ。確か酒は飲んでいなかったと思うが、駅に戻ると他のクラスの連中はベロンベロンになって絡んできた。見た目酔っ払いってをみたことがなかったので、最初は単なる陽気者連中かと思った。
 



 ちなみに3月末のウタゴエ部定期演奏会まで学校に通い詰めたのだが、「なんでお前は帰ったんだ」と散々責められた。バカお前ら女に集中してたんだよと気にも留めなかったが、今思えば無駄骨だったわけで、ちゃーんと残っていればよかったと後悔ばかりである。やれやれ。

 1992年3月の、卒業の日。
 
by lidth-s-jay | 2005-03-01 17:54 | 高校専用