百人一首と6年3組

 子供の頃、年末年始を挟んで百人一首を楽しんだ方は多いと思う。
 端的にいえば百人一首もカルタの一種類であるが、「和歌を覚えてしまえば勝てる」という要素が強いため、上の句を覚えて、いち早く下の句の札を取れるかに躍起になったものだ。よく言われる「むすめふさほせ」のように、中には上の句一文字で下の句を当てることもでき、従ってみんなが狙ってくる(紫式部の「め~」でクワッ!!となった方もいるだろう)。逆に「きみがため」「あさぼらけ」など、初句(出だし5文字)が共通しているものもあった。もっとも暗記とは関係なく自分の好きな和歌をチョイスしてその時だけ頑張って取る、なんてこともあった(そしてそれが他人に取られるのがこの上なく悔しいことであった)。



 その百人一首、学校でも授業の延長で数回やったことがあるのだが、よく覚えているのが中学1年生の百人一首大会でのことだ。

 うちの中学校は2つの町の小学校が一緒の校区となっていたが、隣のシモイシ小学校の6年3組出身者が、妙に百人一首のレベルが高かった。
 百人一首とは話が違うが、このシモイシ小6-3は、別の学校出身の私から見て、他の1組・2組に比べると「おとなしい」クラスの印象だった。どうやら3組はオジサンっぽい先生が担任で、何かと反省文を書かせたがる人だったらしい。ああどこにでも面倒な先生っているんだなあと思っていたが、加えて3組はどういうわけか百人一首に熱を入れていたようで、全部の和歌(百首)を暗記させようとしていたとか(この辺記憶が曖昧)。真偽のほどは不明だが、確かに“おとなしい”3組出身者が百人一首で豹変する姿は、なかなか面白いものを見た気がした。
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 私はシモイシ小でも6年3組出身でもなく、加えてカルタの類が不得意(反射神経が鈍い)だったので、百人一首は苦手だった。最初にクラスで百人一首をやって、取れた枚数に応じてランク分けし、今度はそのランクに併せて他のクラスの子と同レベル対決を行う。我々Dランクの烏合の衆がヘボ百人一首(上の句全部読みきっても取る札が分からない、など)をやっている一方で、別の教室では3組出身者を中心としたAランクの猛者がハンターのように札を狙い撃ちするシーンが繰り広げられた。同じ学年とは思えない。学年260名の頂点に立ったのがどんな子なのか、まったく覚えていない。
 
 学校でやる百人一首は冬ではなく、夏にやったほうがいいと思う。そのほうが男子は俄然張り切るはずだ。まあカルタでもいいのだが。


※文中画像は「いらすとや」様のものを一部加工して使用しております。
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# by lidth-s-jay | 2016-01-16 16:52 | 中学校専用

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まぎれもなく私が小学5年生のときの大作である。言い訳する余地も無い。涙。
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# by lidth-s-jay | 2015-07-19 22:09 | 小学校専用

Mコミューン 1986~1989

 同学年に複数のクラス(4組以上)があった方は思い出してほしいのだが、各クラスに様々な特徴があったはずだ。明るかったり地味だったり、まとまっていたり破綻していたり。
 4月の新学期、クラス改編の際に先生たちによる「生徒の人選」がなされる。もうここで概ねのクラスの特色が決定されている。そして、選んだ担任の先生が最終的な「味付け」をして(しなくて放置する先生も、いる)、1年間を過ごすのだ。
 さらに思い出してほしい。同じ学年のなかに、際立って統率されて、集団行動が抜きん出ていたクラスがなかったか。そして先生、生徒ともに「僕たちがルールだ!!」と言わんばかりに跋扈していなかったか。
 これは批判ではない。むしろ、どちらかというとゆるいクラスにばかり所属していた私は、いい意味でまとまり、緊張感のあるクラスに所属することを望んでいたこともあった。学級合唱も、そういうクラスのほうが上手だったし、うらやましいという思いのほうが強かった。
 ただし、統率されたクラスは、言うまでもなく「危険」な雰囲気をも帯びていた。当時、小中学校でよく使われた「団結」という言葉、あれはかつての社会運動での意味と同じだった。集団行動から外れたとき、先生だけではなく生徒間からも糾弾され、異質な空気を纏いながら、そのクラスは「団結」していくのだ。



 1986年(昭和61年)、中学1年の初夏。授業で、別のクラスとドッジボール大会の練習をすることになった。うちのクラス(D組)の担任はその時不在で、相手のクラスのM先生が2クラスを見ることになっていた。
 このクラス、A組こそが、今まで述べてきたとおりの、典型的な「統率されたクラス」であった。クラスメイト全員がオリジナルのチェック柄な黄色いハチマキをしていた。まだ本番ではない、練習なのに。全員の動きが異様にキビキビしていた。先生がとにかく厳しい。怒号が響く。もちろん別クラスであるはずの私たちにも。「こういっては何だが、貴方達D組はうちのA組と比べてレベルが低い」とハッキリ言われた。おとなしいD組の私達は悔しくても返す言葉もなかった。

 A組は夏のキャンプのときも夜中まで合唱していた。僕らがバンガローの中でどの女が好きだ?みたいな話をしているときも、蒸し暑い屋外で、オメガトライブの「君は1000%」をずっと合唱していた。
 当然文化祭の合唱でもA組は張り切っていた。抑揚のついた、よく練習された合唱だった。さすがに音楽の先生が担任のB組のほうが一枚上手だったが。(ちなみにD組は本来伴奏の必要な曲にピアノ演奏も用意できず、指揮者の子も途中でやめたりと破滅気味のままステージに立ってしまった)

 当時A組にいた奴らに話を聞くと、「確かにあのクラスはちょっと危なかった」「だけどM先生の力が強すぎて従うままだった」「あれはM先生のシュミ(特にハチマキ)」と、そこまで染まっている感じではなかったようだ。しかし一方で2年、3年と進級してもM先生はA組のままで、そこに吸い込まれた生徒のうち何人かはM先生に心酔していた。暢気だった奴なのに、A組になったとたん厳しい言葉を投げかけるようになっていったクラスメイトを何人か見た。

 M先生は、3年次には生徒会の顧問をも兼任していた。究極的には「A組による全校支配」、集団主義から全体主義への拡大化に映った。たとえ生徒会役員が他のクラスであってもA組的な行動を植えつけさせる。「生徒に徹底的に考えさせる」向きもあったが、根本は「俺(M先生)の言うとおりにしろ」なのは、明白だった。



滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

原 武史 / 講談社



 卒業して年月が経過し、そんなクラスもあったなあという程度だったが、先日70年代の統制的な学級運営を扱った「滝山コミューン1974」(原武史・著 講談社文庫)を読み、真っ先にA組のことを思い出した。
 その本では先生がクラスに欲しい子を選び、学級内で競わせ実践し、ついには生徒会の要職を占有し支配する流れを紹介していた(これではあまりにも言葉足らずであり、あの頃(70年~80年代)の集団主義教育に興味のある方はご一読されることをお勧めしたい)。

 小中学校という、単なる義務教育ではなく「団結」や「連帯」が優先されたあの頃の空気は、今では気味の悪いものだったと思わざるを得ない。
 そういう意味で、当時と違い私はA組に入らないでよかったと心底思っているが、在籍していたらそれなりにMコミューンで生き抜こうとしていたはずだ。
 あのハチマキを巻いて。
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# by lidth-s-jay | 2015-07-18 15:44 | 中学校専用

雨に濡れてもひとり遠足

 今も昔も、グループで動くことが苦手だ。自分のペースで行って帰りたい。そんなことをしてるから友達も少なかったのだが、いまさら後悔するほどでもないかな、と思っている。おかげで奇抜な行動もやってきた。


 
 今でも思い出すのは、小学2年か3年生ぐらいのことだ。
 6月の梅雨時、土曜日。午前で学校が終わり集団下校。休みに入った。たぶん前の日から考えていたのだろうが、ひとり遠足をしたくなった。遠足というか、外で弁当を食べたくなったのだ。
 では母親に「ひとりで弁当食べたいから作って」などと言えるか。無理だ。怒られて終わりだ。まあもともと相談するまでもなく、手前にあるものを持っていくことにした。
 土曜日の昼ごはんとして、昨日のカレーの残りがあった。もうこれでいいやと、急遽タッパーを用意し、ご飯とカレーを詰め込み(ルーを分けるということはしない)、遠足を強行することにした。

 外は本格的な。それでも傘を差し、出かけていった。特に目的を決めないでたどり着いたのは、徒歩10分ぐらい離れた場所。目の前は田んぼで、その脇の林の茂み付近に腰を下ろす。雨なのにベンチのようなものもないので思いっきり濡れた。
 傘を差しながらタッパーのふたを開けてカレー弁当を食べた。傘を差していても、カレーに雨が容赦なく入ってくる。雨に濡れながら、灰色の田んぼを見て、雨水交じりのカレーを食べる。一体何がしたいのか分からない。これ、友達連れて、というわけにはいかないだろうなあ。やっぱりあいつとは遊ばないって言われると思う。
 当の本人(私)はというと、それでも心はわずかに躍っていたようだ。こういうのは雰囲気だぜ、と強がっていただろうか、確かに今振り返っても、どの遠足よりも記憶に残ることだった(こうやって書いてるし)。まあ、弁当を食べたあとは即帰宅したのだが・・・。



 その後は「勝手に遠足」はしなかったと思う。遠足や弁当とかでときめかなくなったからだろうか。
 とはいえ、もう少し大人になってからは、弁当を持って、外で食べている。公園や海辺で食べた弁当は、楽しい思い出のひとつだ。

 あのカレー弁当ほどではないけれど。
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# by lidth-s-jay | 2014-10-04 18:54 | 小学校専用

 1987年(昭和62年)、中学2年生のクラスのことである。
 誰が言い出したのか(先生?生徒?)、朝の会、ショートホームルームで、歌をうたおうということになった。小学校、特に低学年では当たり前の光景なのだろうが、中学生になって歌をうたうというのは、少し奇抜のようにも感じる。
 しかも、歌の種類も音楽の授業で習うような合唱曲ではなく、ザ・ベストテンにでも登場しそうな歌謡曲が選ばれた。歌謡曲であって、J-POPではないしフォークでもニューミュージックでもない。書いてて少し恥ずかしくなる単語である。
 覚えているだけでも、こんな曲を選んで、歌った。学校の朝の会で。



南野陽子「話しかけたかった」

 南野陽子はスケバン刑事2のヒットもあって、人気の高いアイドルであったが、この曲はシングルとして出ていた割には印象は薄かった(当時も)。とはいえ、曲の感じがとても爽やかで、朝に歌うにはなかなかお似合いだった。1回だけ書くがナンノはそこそこ好きだった。映画「寒椿」で乳首を出したときは衝撃的だったがあまり実用的ではなかった。



TMネットワーク「Get Wild」

 アニメ「シティ・ハンター」OPソングとしてヒットしたこの曲だが、それまでTMがあまり売れていなかったので殆ど知らなかった(月刊歌謡曲の端っこのページにたまに載っていたが)。朝の会でみんなで歌うにはテンポが速めで大変だった。「イッヨーペインオアマイペーンオアサッバーズペーン」とかテキトウ。ゲッワッ!!



中山美穂「Catch Me」

 昨今、エコーズの辻仁成と別れて空港でブチ切れていたミポリンだが、私たちが中学生だった頃は毎度おさわがせしますとか夏体験物語とかで男の股間を直撃する言動を繰り返していた。それと朝の会の歌とは関係ないがセクシーな歌だった。メロディが少し難しくてこれまたみんなで歌うには厳しかった。


 これらの歌を生徒がB紙にマジックで歌詞を書き、黒板に掲示し、赤いラジカセからテープを流して歌っていた。
 その他の曲を歌ったのか覚えがなく(多分無いと思う)、中山美穂の歌までで中止になったが、普段聴く事も無い歌謡曲を歌っちゃうのは、悪くなかった。TMなんかはこれを機会にハマッたし。ハウンドドッグとかオメガトライブとかの曲のほうが(みんなで歌うには)合ってたと思うけれど、それだと平凡で面白みはないかもしれない。


 今の子たちがこんなことするかどうか分からないけど、もし朝の会で歌うのなら何を選ぶのだろうか。音楽の授業でも普通にいきものがかりとかファンモンとか歌ってそうなので、朝の会なら個人的にはゲスの極み乙女。「パラレルスペック」を推して了としたい。
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# by lidth-s-jay | 2014-08-15 12:39 | 中学校専用

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 1993年の一連の「再生」は、商標上の問題でYMOの上に大きな×がつけられた「not YMO」というプロジェクトだったが、どうやらメンバー自体も惰性と言うか、やる気がなかったように感じられた。坂本龍一の後の著作「音楽は自由にする」にも、当時、坂本と細野・高橋の二人の間で方向のズレがあったことを語っていた。
 実際、再生YMOの活動はアルバムとこのライブだけで終わった。ライブを聴きに行った僕も、すぐに熱は冷めた。「昔を懐かしむことは虚しいことだよなあ」と思い知らされた。

 しかし、それから10数年以上経過した2007年(平成19年)、それまで「ヒューマンオーディオスポンジ(HAS)」という別名ユニットで散発的に行動していた3人が、横浜でいわば「本格的な」ライブを行った。その時には「以心電信」「ONGAKU」「RYDEEN」など、以前は取り上げなかった曲も演奏された。新曲として映画「エクスマキナ」で使われた「RESCUE」も演奏された。
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 またも個人的な感覚ながら、以前私が観にいったドームのライブよりも、このパシフィコ横浜で催されたHASのほうが断然魅力的にみえた。これだったら、観にいきたかったなあ・・・と、羨望と少し悔しい気持ちで、テレビでのライブ番組を楽しんだ。

 YMOのあと、私がライブとかコンサートに足を運んだのは2回だけ。
 「ライブに期待してはいけない」という教訓のもと、それでも行ったコーネリアスのライブには雰囲気についていけず、一方、矢野顕子のコンサートはCDと同じ音がして安堵した。
 次にライブに行くことは、ちょっと考えられないけれど、できれば思い出に残る演奏を楽しめないものか、とちょっと寂しげに、それでもやはり思い出すのである。(おわり)
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# by lidth-s-jay | 2013-05-28 20:30 | 音楽・芸能

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 1993年6月10日、土曜日。
 池袋駅周辺のビジネスホテルに到着後、水道橋駅に降りたのが、確か4時ぐらいだったと思う。梅雨のさなかだったがこの日は晴れていた。
 東京ドームが近づいてくると、ダフ屋があちこちにいて「チケットを売る」「買う」と呼びかけていた。このライブは全席指定で6,500円だった(と思う)。チケット相場がいくらだったのか今となっては知る由もない。
 ドームの外でもグッズを売る人たちがいた。私もそこでキーホルダーとか手ぬぐいとかを購入した。妙に安かった。よくみたら公式のロゴマークより斜体になっていた(YMO、というように)。ドーム内部のグッズショップで購入したものと比べて、「(外のショップモノは)偽物だったのか」と気づかされた。買った偽物は・・・後日適当にお土産として誰彼に渡した。有り難がられたので少し心が痛んだ。

 アリーナの後方右側席について見廻すと、意外に女性客が多かった。というか、私もそうだが全盛期にYMOを聴いていたとは思えない世代の人が目立った。名前は忘れたが大相撲の幕内力士がいた。

 やがて前座(The Orb)の演奏がはじまった。今回のYMOのアルバムと同じくアンビエントな曲が続いた。最初は盛り上がったけど、長くてだるくなった。
 前座が終わったあとも長い休憩があった。
 そういえば曲目はパンフレットに発表されていたが、予想通りと言うか期待はずれと言おうか、殆どがアルバム「テクノドン」の曲であった。これは・・・もっとだるいぞ、そう思いつつも「それでも途中でいろんな曲が挟まれるかも」などと期待を捨てていなかった。

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 結局期待だけで、昔の曲は「BEHIND THE MASK」「中国女」「CASTALIA」、あとアンコールの「東風」「FIRECRACKER」ぐらいだった。あと「RYDEEN」がさわりの部分だけ演奏された。
 当たり前と言えばそれまでだが、とにかく「テクノドン」の曲には退屈なものが多くて(個人的にまともに聞けたのは「BE A SUPERMAN」と「HI-TECH HIPPIES」だけ)、特に後半の「WATERFORD」など、殆どの観客がポカーンとしていた。最初は立っていた客も、だんだん座ってポカーン。昔の曲とそれ以外の時の客の温度差は、すごかった。
 ライブが終わり、三鷹方面行きの電車に乗ると、同じく水道橋から乗ってきたライブ客も多くいた。昔のYMOシャツを着たオタクっぽい人が熱弁していたが、彼にとってこのライブは満足できたものだったのだろうか。(続く)
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# by lidth-s-jay | 2013-05-28 20:10 | 音楽・芸能

 今年が2013年(平成25年)なので、1993年(平成5年)は、既に20年が経過している・・・と改めて書いても、ピンとこない。
 何も資料等を見ずに答えられる1993年の出来事と言ったら「自民党が下野し連立政権が誕生した」ぐらいである。あとは・・・北海道で大きな地震(津波?)があったとか。今思い出したがJリーグもこの年だ。ジュリアナブームは違うか?この辺は後で確認することにしよう。

 もう一つ、確かな1993年の出来事があったのを覚えている。というか体験した。
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 坂本龍一・高橋幸宏・細野晴臣が1978年から1983年まで一緒になって活動していた「イエローマジックオーケストラ(YMO)」が再結成(再生、と呼んでいた)、アルバムの発表とライブを敢行した。
 東京ドームで2日間行われたライブ、その初日に私も行ったのだ。1993年の6月のことである。

 大学の先輩がライブチケットの優先購入ハガキを譲ってくれた。投函したとしても抽選だったかもしれないが、結果チケットを購入することができた。私にとって、これが人生初のライブ体験となった。初ライブが東京ドームとは、我ながら敷居を高くしたものである。地元(名古屋など)でもいろいろ興味のあるライブ等あっただろうに。
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 ライブ前に発表となったアルバム「テクノドン」も買った。聴いた。「??」だった。
 YMOと言えばテクノ、あのピコピコとしたコンピューターミュージックである。確かに「テクノドン」もテクノといえばテクノだしピコピコしてるようにも聴こえるが、テクノというよりはハウスミュージックにアンビエントを混ぜたような・・・詳しいところはともかく「あんまり興味のない」音楽で占められていた。不安になった。あーライブでもこんな退屈な音楽ばかりやるのかなあ、と。
 一方でせっかく再結成したことだし、待ち望んでいたファンに応えて「往年の名曲」もいくつか披露されるはずだ・・・という期待も、勿論持っていた。
 
 いろいろな思いを混ぜこぜに、新幹線で東京へと向かった。(続く)
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# by lidth-s-jay | 2013-05-28 20:00 | 音楽・芸能

 「みかん」という言葉を聞いて、ご覧の方々は次にどんな言葉を浮かべるだろうか。
 色だったり味だったり、人によって似てたり違っていたり、と、様々な言葉が出てくるのだと思う。

 中学生の時通ってた学習塾で、まさに今と同じ質問が先生から出された。
 「お前ら、みかんって聞いてパッと浮かぶものってなんだ?」
 塾生全員が思い思いに言葉を並べていく。連想ゲームである。
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 「黄色(オレンジ)」「すっぱい」「丸い」「食べたい」という直感的な反応も多かった一方で「寒い」「コタツ」「ネコ」と、もうひとつ先の反応をした子もいた。瑠璃カケスは・・・多分前者のほうだったと思う。

 一通りでたあと先生の解説。
・「みかん」という言葉からどれだけの想像力が働くか。
・ひとつの言葉をもとに広い連想ができれば、国語の力が育まれる。
・たとえば「コタツ」などは、みかんのある情景を浮かべたという意味では、なかなかのもの。
など。
 過去の例で、「みかん」と聞いて「海」と答えた子がいたらしい。
 その子は、旅先で海辺を走る電車に乗ったところ、車窓からみかんの木が並んでいていたのが印象的で、海という言葉を思いついた、とのこと。独創的とまでは思わないが、「食べたい」とか言う食いしん坊よりは少し内なる情景が豊かなのだろうと、その時は妙に感心した。
 このあと、瑠璃カケスは家でも姉にこの連想ゲームをやってもらっていたが、チープな反応しか出来なくて「おらぁだめだぁ」なんて諦めてしまった。

 今だったら、みかんは「別れ」と答える。芥川龍之介の小説に、そんなようなものを連想させるシーンがあった(「レモン」だったら「ザ・テレビジョン」では情けないので「うなされるほどの高熱」と言っておきたい。「くりぃむれもん」とか以っての外である)。
 大人になってしまうと答え探しばっかりになって、面白みが薄れるのが残念。


 それでも、以前、映像作家の人が「風にも色があるんですよ」と、さらりと話してた時は、すごいな、と思った。
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# by lidth-s-jay | 2012-10-07 09:37 | 中学校専用

恋とはどんなものかしら

 好きな女の子ができると、一日中その子のことばかり考えてアレコレが手につかなくなる、という経験がおありの方もいると思う。
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 恋わずらい。そうなったとしても腹は減るし、男ならエロ本とかグラビアを見てたらパンツも脱ぐしで、その辺は理性と欲求の棲み分けはできているようだが、それでも、好きな子のことを考えると夢心地になっていたのは、間違いない。



 瑠璃カケスも何度か恋わずらいを経験したが、特に高校のときだろうか、自分でも気持ち悪いぐらいに、女の子が好きで好きでたまらない時期があった(しかし性欲とは全く別だった。我ながらピュアなものである)。
 夜、布団にかぶっていても女の子のことで頭がいっぱいになる。そうなると、いわゆる躁状態となり、猪突猛進あるのみ、つまり「明日の朝告白するぞ!!」と決め込んでしまう。脳内ウオーミングアップ。そしてストレート3球勝負を挑む気力万全。寝る前なのに。
 これで夜も眠れないか、というと、多少寝つきが悪いこともあったものの、程なく夢の中へ落ちていった。



 朝。身体を起こしてふと考える。「あれっ 告白とか思ってたけど・・・」
 急激にテンションが低下しているのが分かる。あんなに告白するぞ、告白するぞ、午前8時に階段踊り場で告白するぞ、と息巻いていた夜が嘘のように。面倒だし、まあいいか。
 そして、1日が始まる。

 しばらくは、夜興奮、寝て、朝振り出し、の繰り返しが続いた。多重人格とか、我ながら病気かと思うぐらいの変わりようだった。厚生省には恋わずらいを疾患の一種として認定してもらいたかった。
 あと、夜気持ちが高ぶってるなら、夜のうちにその子に電話して伝えることができたかもしれない。もっとも現在のメールほど手軽ではなく、結局躊躇した。メールだったら多分直感的に何回か告白して、そのたび落ち込んでるだろうなあ。

 結果、高校生のうちはどの女の子にも気持ちを伝えることもなく終わった。当然ながら気持ちを伝えられることもなかった。がっくり。



 あれから20年が経ち、寝る時に考えて幸せになるのは「近々食べたいもの」である。
 ああカツ丼もたまにはいいなあ、なんて。
 今じゃあ色気より食い気なのかね、とちょっと寂しくなりながら、この頃もやはり、夢の中に落ちていくのである。
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# by lidth-s-jay | 2012-10-06 08:39 | 男子・女子