トレイン・ドリーム

 現在、通勤通学などで電車を利用されている方は多くいらっしゃると思う。私瑠璃カケスは通学は電車で、通勤時は殆ど車を利用していた。
 通学時の4年間は近郊型の横長イス電車で、できるだけラッシュを避けて乗っていた。
 ただ座りたいが為。途中の駅でえらい勢い(ローカル註:高蔵寺・春日井・勝川)で車内もきつくなり、サラリーマン諸君が狭そうにつり革掴まっている下で悠々と座席で居眠りする学生の俺様。腹立たしい様に見えたであろう。

 *

 瑠璃カケスの自宅から、最寄の駅まで行くにはバスで20分以上はかかった。
 バスに乗れるだけでも喜んでいたぐらいなのに、さらに電車を使うことが少ない家だったので、電車に乗れると聞いた時は前の日からワクワクものだった。いつの時代の小僧だ、という気もするが多分本当である。
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 私が生まれたすぐの頃('70年前半)は蒸気機関車が走っていたらしいのだが、程なく表舞台から降りたため乗ることはなかった。
 しかし、日本の鉄道列車の主力は長岐に渡って、機関車、いわゆる汽車であった。汽車が消えたあとも童話や童謡など子供に身近なモノにも「汽車」という言葉が並んでいた。そのためか、親や祖父母は「汽車で行くか」という言葉をよく使っていた。
 だが、小さい頃の私には、汽車がなくなったという事実は理解できず、「えー汽車にのれるのー」と、見事なぬか喜びをしたものだ。一度だけではなく二度三度。

 
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 それから、寝台急行の「ブルートレイン」、あれも最初は「青色の電車ならすべてブルートレインだ」と信じていたこともあった。

 なので、
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こういうタイプの電車にも寝台(ベッド)がついていて、東京とか九州とか遠い場所に行けるものと少し信じた。ちょっとだけだ。信じたのは。多分。


 特急電車など見たときは衝撃的だったし、新幹線に至っては10年に一度しか乗れないと思っていた。
 大人になって、新幹線は乗る機会も増えたがそれでも夢列車だと思っている。地方を走る特急などの方も、あまり乗ることはない。ごく稀に乗車すると、いつも普通電車で通っている路線を早々と駆け車窓がどんどん流れていく様に、戸惑いを感じる時もある。
 

 ここしばらく鉄道と縁遠い場所で暮らしてきた私にも、また切符を買って電車に乗り込む時がやってきそうだ。
 ・・・でも最近ICカードとかケータイでも電車乗れるらしいんだよなあ。信じられん。
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by lidth-s-jay | 2008-02-23 13:16 | コドモのココロ

1月4日生まれ

 2008年(平成20年)1月4日。瑠璃カケスは34回目の誕生日を迎えた。
 以上。

 ・・・自分で書いてても何か虚しいものはある。上手な年のとり方とか全然考えていなかった。そういうライフプランニング的な愚痴は、やめておこう。
 
 それよりも、誕生日である1月4日。
 時は学校は冬休み期間なおかつ正月明け。言ってみれば最悪である。ケーキは無い。誕生日プレゼントはお年玉で誤魔化される(逆に「内祝いだ金くれ」などと家族に言われる始末)。男だからいいんだけど同級生の誰も遊びに来てくれない。
 
 あるとすれば、4日に、名古屋の母実家に遊びに行く(毎年必ずではないが、だいたい4日)のが楽しみだったが、初期の頃はついでにカニ料理専門店(かに道楽・かに本家)にも寄っていた。
 瑠璃カケスはカニが大嫌い(身体が受け付けない)なのである。
 そういう自分が食えないことを知っててわざわざこの俺様の誕生日に行くこと自体、家族全員頭がおかしいんじゃないか、と今でも思っている。店に行っても瓶のオレンジジュース飲んで生簀でウヨウヨ彷徨うカニの姿を見てオワリ。カニって死ぬほど臭いから腹が立つ。

 6月とか2月とか、あんまりイベント(具体的には祝日)の少ない月に生まれたかったと思うがそれを憂いても致し方が無い。よく1月生まれだと目出度いねえなんて言われるが目出度いのは手前のほうだと口酸っぱく諭したいところである。


 ・・・落ちが無いのだが、この記念すべき日に久々更新。誕生日は、1週間前までには家族にリクエストを仕込んでおくべきである。正月生まれの少年少女諸君、くじけるな。
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by lidth-s-jay | 2008-01-04 05:31 | コドモのココロ

シゲルくんのこと

 小学校よりも先、幼稚園の頃の話になる。昭和54年(1979年)。
 さすがに記憶もかすかなのだが、タイトルどおり「シゲルくん」の話を書こうと思う。そもそもシゲルくんだったかも怪しいのだが。

 
 通っていた幼稚園は小学校の付属で、1年間だけだった。
 それまで、うちの町は主に2つの保育園に分かれて通園し、付属幼稚園になって初めて町内の同年代が集まっていた。組の数は4つ、色に分かれていた。
 そのなかで、瑠璃カケスは青組。シゲルくんも青組だった。
 
 幼稚園は義務教育でもないから、突然NEWキャラが増えることもあったが大抵は入園時からの1年、ずっと一緒にいるものだった。しかし、シゲルくんと同じ青組だったのはあまり覚えがない。むしろ、途中からシゲルくんの存在を知るようになった。幼稚園児とはそういうものなんだろうか。
 そのころから既に私はあんまり群れの中に入るのが苦手で、ひとり遊びが多かったが、猫のように気まぐれなのが幼稚園児である、時々輪の中に入ったり、特定の子と遊んだりしてた。シゲルくんとも、突然遊ぶようになった。
 何か知らんがいつも照れ笑いしてて、みんなより少し背が高め、色黒でインド人のハーフだと言われても疑わなかっただろうという濃い顔。そんなシゲルくんと右手を拳銃の形にして、バン、バーンと打ち合いごっこをした、覚えがある。
 
 ある、冬の日、午後3時過ぎの「お迎え」時間で園庭でみんなとダラダラしてたところ、誰かが「シゲルがゲボ(吐瀉)した」と言った。トイレで、らしい。シゲルくんの姿は見えなかった。
 体調を崩して吐いてしまうことはよくあることで、私自身も経験があったが、あんまりその気すら分からなかったシゲルくんが吐いたことには、わずかながら心配心がさまよった。
 大丈夫かな、そう思いつつ、やがて私は母の迎えとともに家路へ向かった。


 次の朝。
 青組の教室で粘土やらオハジキやらでダラダラと遊んでいた私たちを掻き分けるように、カツミくんが声を荒げてやってきた。
 
 「シゲルがしんだ!」

 一瞬何を言ってるのかよく分からなかったが、昨日のシゲルくんの吐瀉を思い出して、程なく納得させられた。いや、納得していないのかもしれない。死ぬって?じゃあシゲルくんはもう幼稚園には来ないの?悲しみとか驚きよりも、いったいどうなってるのか、分かっていなかった。私だけでなく、みんなも。
 お昼前に、担任のトラコ先生が私たち青組の前で説明をはじめた。どんな話だったか殆ど覚えていない、けれど、「シゲルくんはね、イタイイタイって言わないで、静か・・・に死んでいったの」という言葉だけは覚えている。もしかしたら、死んだという直接的な言葉は使わなかったかもしれない。天国にいった、と言ってたかもしれない・・・私たちは、やはり泣くこともなく、ただ呆然として、トラコ先生の言うことを聞いていた。

 数日たって、幼稚園のみんなでシゲルくんの墓へお参りにいった。
 このとき初めて、死んだ人がお墓に入ることを知った。お墓参りの意味を分からず、ただの遠足のように列を作って、いつものように歩く。ふざけていると先生に怒られる。それは何も変わらなかった。ただ、行く場所が墓地で、シゲルくんがいる前で手を合わせて目をつぶることだけは、いつもの遠足や散歩とは違っていた。


 幼稚園を卒園し、すぐ隣の小学校に上がって数年後、シゲルくんの死因を聞いたことがあったが、詳しい病名は分からないままだ。ただ、「内臓の位置が健康体と真逆にあった」とか「心臓が悪かった」というところから察するに急性心不全の類なのかな、と思ったりする。
 幸いにして、その後小中とも、一緒に過ごした同級生が亡くなったという話は聞かなかった。一方で、高校では早世した同級生もいた。

 幼稚園を出てから四半世紀以上経過したが、みんなどうしているんだろうか。元気に、やってるかな。


 早引けしたシゲルくんは、天の上でもインド人と間違えられたりするんだろうか。
 きっと、もうオッサン顔だろうな。いやあ参っちゃうよみたいなポーズ、してるかな。
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by lidth-s-jay | 2007-03-18 07:37 | コドモのココロ

 かつての職場で管理側に立っていた頃、自己申告または周囲からのアドバイスで「私(あの人)は褒められると頑張れる」という言葉を多く聞いてきた。
 または「褒めると伸びる」・・・このこと自体は、異論は特別見つからないので、概ね間違ってはいないと思っている。逆(叱ると萎縮して身動きできなくなる)のパターンも多くみてきたので、相対称とは言えないだろうが、そういう方はかなりの割合で存在するようだ。
 ただ、褒めたら頑張る、というか気分良く動いているのは事実だけれど、こちらの期待通りに成長してくれるのか、というと、そうでもない。単に無駄口が増えたとか、仕事は速いがムラが目立つようになる、とか。褒めるのは簡単だが適切なフォローが肝心となる。しかしこれが難しい。
 あと、褒め言葉は、時として嘘が入る。方便や誇大表現と割り切ったりできるかどうか。

 そもそも、私自身、「褒めると伸びる」そのものは認めつつも、そういうやり方が嫌いだった。なぜならば、私は褒められることが少なかったし、褒められても「それは嘘が入ってるでしょう」という斜めな見方をするように育ってきたからだ。あと、結果として褒められても伸びなかった。
 逆に「叱られて育つ」ことを信じてきた。叱咤には嘘がないからである。悔しく苦い思いをしながらも自分自身を追い込み、次こそは、のつもりで仕事に向かっていった。その報いとして上司が与えてくれたのは、褒め言葉ではなく昇進であった。
 ストイックなまま上に向かうことができると思っていたが、結局は潰れてしまい、会社を去った。そこから、今までの褒める×叱るのバランスがよく分からなくなって、タテ社会における私の成長理念は破綻している。


 ほんとうは、私もかつては「褒められたい」コドモだった。
 子供が叱られたい、など自虐的なことを考えるのは異常である。たいていは褒められたいのである。私も家族や学校の先生に褒められたい、「すごいね」の言葉が欲しくて日々を暮らしていた。
 
 学校の勉強がつまらなかった分、新聞や本を読んで小学生としては無駄ともいえる知識を獲得すること、そして突拍子もなくそれを自慢する。
 今でも覚えているのが小学2年の算数、数の数え方をやっていたとき、私は挙手して先生に「時計は12進法なんですよね」と言った。先生は褒めてくれたが、周りの同級生は「だからなんだよ」と冷めた不満を漏らしていた。当たり前である。
 余談だが、4年のころ、アフリカの人々の話がでてきたとき、今度はただ思い浮かんだ「発展途上人」という言葉を口にしたところで先生に「それはどういう意味だ」と詰問された。私は単に「これから伸びゆく人」という意味で解釈していたのだが、人種差別の意味にでもとられたのだろうか。今でも反論すべきだったと後悔している。

 私にとって、古今東西の事象を知ることを楽しむようになったのは今も昔も本能的なことなのだが、一方で、それを聞く周囲を驚かせ、褒められることを快感に覚えていた。「物知りハカセ」に対する渇望的欲求。ただ、あくまでも人文・社会科学の面だけであり、理数系はからきし駄目なのは当時も同じだった。が、それでも十分だった。
 
 褒められることで次の知識獲得に走るのか、というと、そういう意識はなかった。よーしまた本を読んで頑張るぞ、なんて面倒なことはしない。褒められた時点で終了なのである。
 つまり、「褒められて伸びる」のではなく、褒められることそのものが目的になっていた。そのためのアピールを惜しまない。目立てばよし。だから、アピールの方法についても常に考えていた。プレゼンテーション能力を磨くこと、ウィークポイントは徹底的に隠す、ヨコシマな部分もあったが「褒められる為に」恥も捨て、自慢に自慢を重ねた。同級生たちはどう受け取っていたのかあまり覚えていない・・・が、大人達はとにかく褒めた。笑えるほど褒めちぎった。

 あの時、大人の誰かが私に「そういうこともいいけど、コドモの範囲を逸脱するな」と忠告していたらどうなっていたんだろう。
 マンガやアニメ、ゲーム、野球やサッカーにもっと興味を持っていたら。
 きっと、もっと同世代と楽しくやれたのではないだろうか・・・?
 しかし、そういう楽しみの殆どは「やってはいけない」ものとして封印されていた。興味を持ってはいけない、という空気が、私の周りの大人たちには、あった。

 コドモの時にコドモらしく振舞えず、褒められていたのも小学生までで、やがて「褒め言葉には嘘が混じっている」という、先述の自分的憶測が確立した。小学生の時点で自己評価への価値判断が狂ってしまっていた私は、他人の評価に頼らず、自己満足だけを楽しむようになった。そして、苦くも人間のホンネである叱咤に対して、甘んじて受け入れるようになり、必死に感情(殺意を含む)を隠して、その後を生きるようになっていた。

 今回の件は、誰かへの訴えかけというよりも、コドモの頃の私への反省と後悔の念を込めている。
 私見だが、子供はその成長過程に見合った楽しみをバランスよく保持していくことが望ましいし、それを見取るのは大人の力があってこそである。
 大人とて欠陥だらけなのだから子供のテリトリーを管理の枠に入れるのはおかしなことだが、成長への階段を用意して、コドモがどんな風に歩いていくのか(2段とびとかいきなり座ったりとかもあるだろうけれど)、時に声をかけ手を差しのべ、実は混沌の中にいるコドモをやわらかく諭してやる・・・そんな大人がほしかったなあ、と、こう書いてて思ったりした。

 そして、ひとつだけ。「無為に褒めすぎない」
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by lidth-s-jay | 2006-02-19 22:17 | コドモのココロ

ともだちづきあい

 私が大学を卒業してから、ちょうど10年が経とうとしている。その間、仕事を変え住む場所を変え、その場の人間関係が厚くなることなく暮らしてきた。
 そんな私は、中学高校、そして大学の頃の友人知り合いには全くといっていいほど会っていない。結婚したあと大学時代の友人と数回会ったが、最後に会ったのは3年前の秋だったと記憶している。しかも同級生ではなく先輩や後輩などだった(結婚式にて)。
 
 交友という志向があまりない、人間としての特性に欠けている、と私自身も思っている。結婚した、という要素があるものの、なんだか人に会うのも億劫で、よほど気が向かない限りは「ひとりで過ごしたい」と思っている。
 あと飲み会は好きだが2次会は苦手、と言えば少しはニュアンスも伝わるだろうか。
 要は、「友と旧交を温める必要はない」「休みや夜の時間を潰すぐらいなら寝る」というところだろうか。

 もともと私は友達が少なかった。
 強がりでもなく欲しいわけじゃなかった。小学校低学年の時はクラスのみんなが外で鬼ごっことかメンコ・ベーゴマをしている時、図書館や教室で伝記物のマンガや物語を読んでいた。もう少し大きくなっても、運動が苦手で、野球やサッカーをやっても下手糞で相手してもらえないことを嫌って、やはり図書館にいることが多かった。
 欲しくない、と書いたが、ひとりぼっちでいることに平気だった、というわけでもなかった。事実、雨の日はみんな図書館か教室にいるのだが、その時は混ざって遊んでいた。もっとも雨の日なんて割合は少ないから、やはり一人でいることを好んだ。

 だいたい、話題が噛み合わなかった。テレビアニメは習い事とかで見せてもらえなかったし、マンガも「金を出して買うものじゃない」と言われて一切読ませてもらえなかった。ファミコンなんてとんでもない話で、こっちは最初から諦めていた。
 一方で私自身、キン肉マンだとかセイント星矢だとか、みんなが好きそうなネタに「何が面白いのかさっぱり分からん」と冷めた目で見ていたのもある。マンガを読ませてもらえなかったからか、もともと興味を持たなかったからなのか。根元には「馬鹿で低俗なネタには乗らない」という擦れた心があった。

 
 中学・高校の頃は自分が逆に普通に戻ったのか、あまり単独行動はしなくなった。友達と遊ぶことに楽しみを覚えていた。
 しかし大学に入り、バイトなどで手持ちの金ができるようになると、飲み会やカラオケ・ボーリングなどという遊びに誘われることが多くなった。
 先述のとおり、酒はともかく、時間が長引くのは嫌いで、また帰りの交通手段も限られていたことから、2次会とか夜通しの遊びには消極的だった。仕方なくついて行っても、やる気なくウーロン茶とポテトチップスを食べて時間が過ぎるのを待っていた。

 また、大学入学以降は、小・中学時代の友達とは全く交友がなくなっていた。
 もともとこの頃(小中)の友達は少ないし、会っても話が噛み合わないだろう、と考えていた。加えて言うなら、地域の閉鎖性だろうか。田舎の悪い面が凝縮されたような風土だったので、あまり居心地がよくなかったこの場所での友達は「不要」だと思っていた。結果今誰がどうしているのか、同窓会にも一度も出ていないので分からない。

 結婚の披露宴の席次を作る際、親と揉めた。
 内容は「父親の(中学高校時代の)友人を呼ぶ、呼ばない(以下同じ)」「近所の人を」「私の中高の友人を」。馬鹿馬鹿しさに閉口した。揉めた、と言うより情けないと思った。
 近所の人とか私の友人とかは大きな問題ではなかったが、親の友人って・・・しかも真剣だったから怖い。もし呼んでいたら間違いなく私は自分の披露宴を恥じることになっていただろう(事実、近所の人を呼んだことで、大学の友人から「おまえん所(の田舎)、ものすごいアレだな」といわれた。尤もではある)。
 息子の披露宴に招待しようとするほど、そんなに旧友って有難いものなのかと、寒気すら覚えた。

 2003年の夏から奄美に移り、物理的に同級生達と会うこともできなくなったが、インターネットという道具のおかげで、基本的にメールで事足りていた。 電話も引いていたがこちらは直近の知人友人以外には教えなかった。昨年から内地に戻ったことも、殆どの人には言っていないし、言いようがない。
 よく「中学・高校時代の友達に会う」とか「同窓会に出る」という話を聞くが、アレって本当に会いたくて行ってるのだろうか(特に同窓会)。昔話はそれなりに面白いだろうけれど、私のような人間は、その昔話すら苦々しいものが多い。その代わりこっちに綴っているのだが・・・。
 
 「むしろ常に今ある関係、人とのつながりを大事にしたい」、というのが、自分の中にある。
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by lidth-s-jay | 2006-01-22 03:36 | コドモのココロ

 新しくカテゴリ「コドモのココロ」を設けました。名前をどうしようかと思ったのですが、これからどんな風になるか分からないので暫定です。
 おそらくは今回のタイトルのような内容を扱うと思います。

                


 1982年(昭和57年)、小学3年の頃だったか、住んでいる家の近くの遊休地に、新しい家を建てる、と親から聞いた。
 当時住んでいた家は、祖父母の時代からあった木造の老朽化したもので、雨漏りも多く、トイレも部屋の外に突き出た、暗い場所にあって、夜行くのがすごく怖かった。特に大きいほうは灯りも無く、いわゆるボットンなので、落ちる可能性すらあった。他はそんなに家に不満があるわけではなかったけれど、あのトイレだけは嫌だった。
 なので、新しい家に住むって聞かされた時はそれなりに喜んだ。

 どうやら大きな家を建てるらしい。メーカーの建売住宅ではない、大工や左官屋にお願いしての、なにか拘りを感じるような家。
 どんな家であろうと、私が願っていたのは「2階のある家」だった。階段に憧れた。見晴らしに憧れた(周りは水田しかなかったので見晴らしが変わるわけではないが)。事実、「中二階を作る」という話もあった。
 1983年、家作りが始まって以来、「どこに2階に行く階段ができるかな」と、作っている最中も中をのぞいてはその場所を探していた。
 しかし、結局は平屋建てに終わった。親に聞いても「そんなものいらない」で終わってしまった。わりとすぐ諦めたので、期待していた割に諦めは早かったと思う。

 *

 確か4000万だかそのぐらいの家だったと思う。建売の当時価格よりもはるかに高い。耐久性は建売よりはいいだろうが、子供の私にはどうでもよく、むしろ「なんで家にそんなお金つかうの?」という疑問が残った。
 
 建設が佳境に入った1983年暮れぐらいから、親同士の喧嘩が絶えなくなった。理由は分からなかったが、頻繁に信用金庫の営業が出入りしていて、その日は大抵喧嘩となった。資金繰りのことだろうか、と今になって思う。
 だんだん家のこと以外でも喧嘩が目に見えて増えていた。当時、姉は夜塾に通うようになっていたので、その喧嘩を目の当たりにするのは私だけ。

 「やめてよ」のひとことが言えなかった。多分言っても止めないだろうとも思っていた。
 
 毎日が嫌で嫌で仕方が無かった。営業の人にも殺意を抱いた。お前が来るから喧嘩になるんだよとか。小学生がマイホームで憂鬱になるなんて、バカバカし過ぎるけど、本当にそうだった。
 一度、母親に「なんであんなに喧嘩するの?」ときいたら、「ストレスを貯めないためよ」って言われたけれど、じゃあボクのストレスはどうなるの?という気持ちだけが残って、悔しかった。

 *
 
 1984年5月、普通なら数ヶ月で終わりそうな家造りが、父親のこだわりかなんなのか、1年以上経過して、ようやく新居が完成した。生活の拠点が移ってからは、親の喧嘩は減っていった。
 しかし、今度は雪ダルマのように膨れ上がった住宅ローンが残った。この返済には20年近くかかると聞いて愕然とした。
 そして初めて思った。
 「何で家なんか建てたんだよ・・・」

 新居に移ってから父親は家計の節約にシフトした。それはつまり、家族サービスの縮小を意味した。家族で外食や旅行、という、今までの楽しみは消えた。小遣いが少なかったり、クリスマスのプレゼントがなかったのはそれほど悔やむことでもない。ただ、「家族で楽しむ」ことが、本当に無くなって行くのが分かった。
 全てが新居のせいだとは思わない(というより分からない)。ただ、明らかに昔のボロい家に住んでいた頃とは、父も母も「つまらない」人間に変わっていた。
 
 10年後、大学の就職活動で、本屋と平行して「住宅産業」を廻っていた私だったが、無意識に家についての思いがあって、旭化成やパナホームの面接に行っていたのかもしれない。

 *
 
 結婚して、貯金もできて金に余裕があった頃、妻が「住宅展示場行って見ない?買うわけじゃないけど、なんか楽しそうじゃん」とよく言ってた。
 アンパンマンショーが楽しいんだろとか思いつつ、確かに家を見てみるのも面白いかな、とは私も思っていた・・・が、結局一度も行くことはなかった。私は「一生移動民族でいいよ、2DK暮らしで。子供もいないしさぁ」といつも笑って返していた。

 家が財産、なんてのは考えられなくなっている。あんなもん壊れたらおしまいだよ、住めりゃいいんだよ、と思う。それに・・・家で家族の楽しさを蒸発させたくないし。


 実家の旧自宅はまだ残っていて、祖父母が住んでいる。新居のローンも完済したと、数年前に聞いた。20年経過して、確かにもはや新居ではなく、ひとつの風格ある城のようになっていた。できた当時は「ウンコでできた家」などと近所のバカ兄貴が揶揄していたが。
 こんなもんに財を投げ捨てる人生なんてまっぴらだ。金だけじゃなく、子供の楽しい思い出まで捨てられるんだから。


 そういう私は今この年にして寮暮らし、妻が一軒家で一人住まいという、まあそれもどうかなという生活をしているわけで。
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by lidth-s-jay | 2005-12-01 04:33 | コドモのココロ