外食に対して消極的な家庭で育った為、ちょっとしたものでも喜んでいた私だが、そのレベルはきわめて低い。
 ゴタクはもういいや、羅列するか。

・日清カップヌードル
 冬場のスケートリンクで食うのが最高の贅沢だった。
 あの肉が、肉がたまらない。あんなしょぼいのに、あの肉が。
※2007年6月17日、長文で熱く語りました。

・とりあえずハンバーガー
 マクドナルドなんて半径50km圏内にはなかったんだから。
 あ、ロッテリアがあったけど不味いから、と食わせてくれなかった。
 モスバーガーはなんかのニセモノだと思ってた。
 町にあるバーガーショップはヤンキーの溜まり場で近づけなかった。すぐつぶれたし。

・ラーメン屋のラーメン
 小学3年だったと思う。同級生がこぞって「ラーメン屋に行くぞ」と決起した。
 しかし「大人同伴じゃない外食はダメ」というあるようなないような規範に縛られていた私は
 店に入ったものの注文できず、週刊プレイボーイのグラビアをチラ見していた。
 ちなみにこの店が親戚の経営だったことに後年気づいた。

・自分で作るタマゴ焼き
 これすらダメだった。滅多に食えなかった。火を使うものは×だったのだ。チクショ(泣)
 なのでこっそり作って(形は滅茶苦茶)食べた時の味は忘れられない。忘れたけど。
 タマゴの数が減っているので後で怒られたこともあった。未だに恨んでいる。忘れられない。

・ハム
 ハムすらダメなんだよ我がクソ貧乏家庭。朝飯のオカズにぐらいのせてほしいのに。
 まあつまみ食いであるわけで、そりゃこっちは怒られるかもしれない。たかが1枚でも。

・味の素ごはん
 滅多に食えないというより、一生で1度きりの蛮行であるが、味の素だけふりかけて飯を食った ことがある。
 不味かったけど、美味かった。でも不味かった。思い出すだけで舌が死ぬ。

・・・

 今でこそ大人になり、コンビニも外食にも隔てなく行くようになった、まさに「飽食の時代」を謳歌しているわけだが、ダメだな。初心忘れるべからず。タマゴ焼きで休日を楽しめるぐらいの気持ちを、もう一度。
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by lidth-s-jay | 2005-07-14 23:14 | 小学校専用

校舎回想

 何だかんだ言って、はじめての就職から現在に至るまで、私と学校とは、繋がりが切れた事はなかった。名古屋での書店勤め、奄美に来てからの学校向け営業、など。
 特に前職では学校に入って、教室まで回って商品を配達していた。そこで気づいたのは、私が小中学校で過ごしていた頃と違い、たとえば学年別に職員室が分かれていたり、「心の教室」のような場所があったことだ。あまり詳しくは書けないが、中学を卒業してはや15年以上、その間に多少なりとも現場は変化していたようである。



 私がいた頃の学校はボロかった。木造でしょっちゅう雨漏りしていた。なんかリンゴ系の酢の匂いが漂う場所もあった。
 
 理科室は恐怖の場所だった。ホルマリン漬けのナントヤラがハブ酒のように陳列されていた。ボロボロになった人体図(昭和47年とかそういうやつ)、サビだらけの水道の蛇口。
 
 音楽室。バッハとかモーツァルトの肖像画は、やっぱり朽ちている。ピアノはロクに調律されていない。そのくせ勝手にネコ踏んじゃったを弾くとヒステリックなまでに先生に怒られた。 

 美術室。ヤンキーの溜まり場であまり近づけなかった。なんで制服着てるだけでドツかれたのか今だに分からない。アホそうな一つ上のやつに。今でもアホ面だろうか。

 図書室。禁帯出(借りることができない)な本ほど借りたいのに、と思いつつ、ポプラ社の少年探偵団シリーズのコーナーを避けて(表紙が怖かった)暴れん坊将軍のテーマを口笛で吹いてたら怒られた。 

 給食を運ぶ為なのか、小学校には業務用エレベーターがあった。当然遊ぶやつがいるわけでやっぱり無茶苦茶怒られていた。でも羨ましかった。怒られてでも乗りたいという度胸は、なかった。後年、就職して同じエレベーターがあったのでウサ晴らしに乗りまくった。最高の気分を得た。

 小学校のプール、女子更衣室に突入した勇者もいた。職員室の更衣室(先生入り)にまで突入したヤツもいたが何故か担任の先生(女性)からのお咎めは無かったらしい。なぜ・・・。

 ・・・なんか他にもありそうな気がしたがとりあえずこの辺まで。どこが校舎回想だ、という気もするが。 
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by lidth-s-jay | 2005-07-04 23:50 | 学校全般