今回は既に高校を卒業した時点ではあるが、どちらにしろ10年以上経過しているので書いてみようと思う。

 今私は長野に住んでいるが、自分の記憶の中で外せないのが「電車で長野へ遊びに行く」である。無論、長野ばかりではない。結構な回数訪れたのですべてを紹介することはできない分、覚えている「電車の旅」を思い起こしてみる。



その1「東京~名古屋(夜行)」
(1992年6月)
 東京でのサークル行事のあと、宿泊せず一部先輩たちと帰ることにした。その時乗ったのが東京を23時半近くに発車する夜行普通列車(岐阜の大垣まで行くことから俗に「大垣夜行」と言われていた)を利用した。
 行きは新幹線(2時間)に対して、夜行は6時間以上はかかっていた。小田原か熱海を過ぎてから豊橋までは停車駅も少なくなるのだが、たとえば浜松でなんか長いこと停車したり(弁当ぐらい売ってほしいのにただ停まるだけ)、のんべんだらり、という感じだった。
 はじめての夜行列車だったので猛烈に興奮してたら車掌に怒られた。まあ寝る時間だし・・・。
 静岡あたりを通過する時のまばらな照明が蛍火のようで幻想的だった。

その2「土岐市~松本」
(1992年8月)
 夏休みは電車が増発されるので、この時も臨時快速に乗った。
 通学で使う電車と違って、窓側に小さなコースターのようなスペースがあるのが、使わなくてもうれしかった。
 落合川(岐阜)に架かる鉄橋を抜けて長野に入った時、延々と続く森の中を走る電車。信州に来てるんだなあ、という感慨深さはよく覚えている。

その3「名古屋~豊橋~塩尻~多治見(周遊)」
(1993年11月)
 豊橋と塩尻の間で飯田線という地方路線を利用。これがまた3分間隔ぐらいで駅がある(そして誰が乗るのか怪しいぐらいの)ダラダラ路線だった。名古屋を朝6時過ぎに出てぐるりと廻って多治見に戻ったのは午後5時を回っていた。よく一人で行ったなあ。誰もつきあわないか・・・。
 車内で対面に座ってた女性が時刻表全国版観ながら都コンブをかじっていた。
 飯田から快速列車に乗り換えたあと、駒ヶ根・伊那あたりで見えた南アルプスに感動。しかし伊那市駅あたりで超・旧型ヤンキーが乗車して萎えた。

その4「京都~岐阜~東京~松本~多治見(岐阜→東京間で夜行利用)」
(1994年3月)
 もともとは京都に遊びに行った帰り、というとんでもない設定。
 以前の東京発夜行の逆だが、富士山登山客が結構いた。
 東京に夜明け前に着くので、何もやることがなく、とりあえず新宿まで出向いて朝食を食べてから、中央線を乗り継いで帰った(高尾→甲府→松本→中津川、の順)。
 高尾を過ぎてからの景色の変わりように驚愕した。絶境という言葉にふさわしく。
 甲府の駅で本屋によったらゲイ雑誌の「さぶ」を見つけて感動した。
 また、当日は天気がよくなかったこともあるが、長野に入ったとたん周りが真っ白になり、気がつくと鉄橋の下に雲があった。ちなみに現在住んでいる場所である。

その5「名古屋~京都~博多~西鹿児島(現在の鹿児島中央)」
(1994年8月)
 書き出すと止まらないネタなので今回は省略。後の人生に少なからず影響を残した。


 すべて大学入学後で、電車代を捻出できる貯えと体力があったからできた(今は貯えも危ういが、県内への移動も普通電車できつくてやる気が起きない)。貧乏旅行だから楽しむ、というよりも、単に時間に余裕があったということも大きい。
 ちなみにこうやってみると行った場所は西日本と首都圏・甲州地方ばかりで、東日本地域でも特に北海道・東北地方にはまだ赴いたことが無い(電車以外の交通手段含む)。電車でみちのくへの旅ってのは心が悲しくなるので避けてきたが、さて今後北へ行くことはあるのだろうか。

 電車の旅はケツが痛くなる以外は楽しくて心が落ち着く。今も昔も変わらない。
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by lidth-s-jay | 2006-02-25 22:43 | 学校全般

 かつての職場で管理側に立っていた頃、自己申告または周囲からのアドバイスで「私(あの人)は褒められると頑張れる」という言葉を多く聞いてきた。
 または「褒めると伸びる」・・・このこと自体は、異論は特別見つからないので、概ね間違ってはいないと思っている。逆(叱ると萎縮して身動きできなくなる)のパターンも多くみてきたので、相対称とは言えないだろうが、そういう方はかなりの割合で存在するようだ。
 ただ、褒めたら頑張る、というか気分良く動いているのは事実だけれど、こちらの期待通りに成長してくれるのか、というと、そうでもない。単に無駄口が増えたとか、仕事は速いがムラが目立つようになる、とか。褒めるのは簡単だが適切なフォローが肝心となる。しかしこれが難しい。
 あと、褒め言葉は、時として嘘が入る。方便や誇大表現と割り切ったりできるかどうか。

 そもそも、私自身、「褒めると伸びる」そのものは認めつつも、そういうやり方が嫌いだった。なぜならば、私は褒められることが少なかったし、褒められても「それは嘘が入ってるでしょう」という斜めな見方をするように育ってきたからだ。あと、結果として褒められても伸びなかった。
 逆に「叱られて育つ」ことを信じてきた。叱咤には嘘がないからである。悔しく苦い思いをしながらも自分自身を追い込み、次こそは、のつもりで仕事に向かっていった。その報いとして上司が与えてくれたのは、褒め言葉ではなく昇進であった。
 ストイックなまま上に向かうことができると思っていたが、結局は潰れてしまい、会社を去った。そこから、今までの褒める×叱るのバランスがよく分からなくなって、タテ社会における私の成長理念は破綻している。


 ほんとうは、私もかつては「褒められたい」コドモだった。
 子供が叱られたい、など自虐的なことを考えるのは異常である。たいていは褒められたいのである。私も家族や学校の先生に褒められたい、「すごいね」の言葉が欲しくて日々を暮らしていた。
 
 学校の勉強がつまらなかった分、新聞や本を読んで小学生としては無駄ともいえる知識を獲得すること、そして突拍子もなくそれを自慢する。
 今でも覚えているのが小学2年の算数、数の数え方をやっていたとき、私は挙手して先生に「時計は12進法なんですよね」と言った。先生は褒めてくれたが、周りの同級生は「だからなんだよ」と冷めた不満を漏らしていた。当たり前である。
 余談だが、4年のころ、アフリカの人々の話がでてきたとき、今度はただ思い浮かんだ「発展途上人」という言葉を口にしたところで先生に「それはどういう意味だ」と詰問された。私は単に「これから伸びゆく人」という意味で解釈していたのだが、人種差別の意味にでもとられたのだろうか。今でも反論すべきだったと後悔している。

 私にとって、古今東西の事象を知ることを楽しむようになったのは今も昔も本能的なことなのだが、一方で、それを聞く周囲を驚かせ、褒められることを快感に覚えていた。「物知りハカセ」に対する渇望的欲求。ただ、あくまでも人文・社会科学の面だけであり、理数系はからきし駄目なのは当時も同じだった。が、それでも十分だった。
 
 褒められることで次の知識獲得に走るのか、というと、そういう意識はなかった。よーしまた本を読んで頑張るぞ、なんて面倒なことはしない。褒められた時点で終了なのである。
 つまり、「褒められて伸びる」のではなく、褒められることそのものが目的になっていた。そのためのアピールを惜しまない。目立てばよし。だから、アピールの方法についても常に考えていた。プレゼンテーション能力を磨くこと、ウィークポイントは徹底的に隠す、ヨコシマな部分もあったが「褒められる為に」恥も捨て、自慢に自慢を重ねた。同級生たちはどう受け取っていたのかあまり覚えていない・・・が、大人達はとにかく褒めた。笑えるほど褒めちぎった。

 あの時、大人の誰かが私に「そういうこともいいけど、コドモの範囲を逸脱するな」と忠告していたらどうなっていたんだろう。
 マンガやアニメ、ゲーム、野球やサッカーにもっと興味を持っていたら。
 きっと、もっと同世代と楽しくやれたのではないだろうか・・・?
 しかし、そういう楽しみの殆どは「やってはいけない」ものとして封印されていた。興味を持ってはいけない、という空気が、私の周りの大人たちには、あった。

 コドモの時にコドモらしく振舞えず、褒められていたのも小学生までで、やがて「褒め言葉には嘘が混じっている」という、先述の自分的憶測が確立した。小学生の時点で自己評価への価値判断が狂ってしまっていた私は、他人の評価に頼らず、自己満足だけを楽しむようになった。そして、苦くも人間のホンネである叱咤に対して、甘んじて受け入れるようになり、必死に感情(殺意を含む)を隠して、その後を生きるようになっていた。

 今回の件は、誰かへの訴えかけというよりも、コドモの頃の私への反省と後悔の念を込めている。
 私見だが、子供はその成長過程に見合った楽しみをバランスよく保持していくことが望ましいし、それを見取るのは大人の力があってこそである。
 大人とて欠陥だらけなのだから子供のテリトリーを管理の枠に入れるのはおかしなことだが、成長への階段を用意して、コドモがどんな風に歩いていくのか(2段とびとかいきなり座ったりとかもあるだろうけれど)、時に声をかけ手を差しのべ、実は混沌の中にいるコドモをやわらかく諭してやる・・・そんな大人がほしかったなあ、と、こう書いてて思ったりした。

 そして、ひとつだけ。「無為に褒めすぎない」
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by lidth-s-jay | 2006-02-19 22:17 | コドモのココロ