なんと2年ぶりのこのシリーズである。しかも、PSY・Sについては1年前に「そろそろ書く」と綴っておいて、そのあと見事に放置。・・・まあ、この辺にしておこう。
 その分、あまりにも内容が主観的過ぎて怖い部分もあるので、今回はいきなり「続きを読む」でご覧いただきたい。

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by lidth-s-jay | 2006-11-22 09:13 | 音楽・芸能

 後半は瑠璃カケスの持論を。

 いじめ被害者の自殺についてだが、死んだらダメだ、なんてことはこれっぽっちも思わない。
 親兄弟が悲しむとか、そんなのは周りのエゴだ。そのぐらい、いじめられた人間は苦しんでいる。
 死んだほうがいい、なんて思わないが、無理して生きる必要なんてない、と思っている。それも究極の選択肢である。
 ただ、例の大臣宛手紙みたいに中途半端に「死にます」などと触れ回るのはやめてほしい。たとえ本音であっても。死ぬ前にやっておくべきことは、数多ある。
 
 重要なのは「無駄に死んではならない」ということ。絶対に復讐せよ。いじめ加害者の肉体・人生をボロカスにするぐらい。とにかく、やられたことを倍返しする覚悟を持ってほしい。
 本来、いじめる者こそ、普通に生きていくことは許されないのだ。自分の過ちを、一生悔いるぐらいの重荷を背負っていけ。
 
 いじめ被害者は、負けたまま生きてはいけない。たとえ人生の終わりを悟っても、せめて一矢報いるエネルギーだけは、どうか忘れないで欲しい。



 付記:現在を生きる「過去のいじめ被害者」の方へ。
 本来、「いじめられていた子供だった」とか「いじめられた体験」を紹介することは、あたかも同情を誘うかのような表現であり、現在の当人の評価とは無関係です。過去にいじめられようが、そんなことは知ったことではありません。
 このブログの性質上、私は過去のいじめ体験について綴りましたが、本来は、現在とこれからにつながる思いと、過去を「懐かしむ」記憶の断片、それらを文に書き言葉を発していくことが、私自身の務めであり、私の在り方はないか、と思っています。
 以上、持論を述べましたが、私も自我に囚われること無く、多くの見識・体験から学んでいけたら、と思います。
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by lidth-s-jay | 2006-11-17 12:29 | 学校全般

 最近の社会報道は「飲酒運転」から「いじめ問題」にシフトしている。
 生徒~学校長の自殺、教師の加担、事件後の加害者態度、文部科学省への自殺予告など、問題は枚挙に暇が無い。
 ところで、いじめ問題、瑠璃カケスが小学校・中学校を過ごした頃の特に1980年後半も大きな問題となっていて、AC(公共広告機構)のCMや、各種いじめレポートなどの本をよく見かけた。1990年代に入っても、山形のマット圧死事件、愛知西尾の大河内君自殺事件、また2000年には名古屋緑区の中学校で延べ5000万円の恐喝事件が発生している。
 このうち、今回は当事者となった私の「いじめ体験」について書こうと思う。
 (幸いながら)ずいぶん記憶も薄れているが、思い出せる分だけでも綴ってみたい。


小学校
・2年生:同じグループの女子(あだ名はゴリラ)にとことんいじめられた。確か指でつねる、ような行為だったと思うが、いつも泣かされた。学校に行くのも嫌だった。3年になって、ようやくゴリラから解放されてホッとした。ゴリラは4年に隣の市に転校していった。

・3年生:やはり同じグループの女子に「しつけネタ」でいじめられた。いじめ、というほどでもないような気もしたが、泣いてばかりだったので、期末の通信簿に先生から「今期は女子にやりこめられたね」とコメントされていた。

・5年生:理由は不明だが、飛び降り自殺を図ろうとする。実際にはベランダに足をおとした程度なんだが。さすがに先生が焦っていたようだ。

・5年生その2:複数人に服を脱がされて全裸にさせられた(2回ほど)。これもあんまりいじめられている感覚はなかったが、さすがに2回目にやられた時は泣いた。それ以来「いじめっぽい」行為は無かったはずである。


中学校
・2年生後半~3年初期:これが一番酷いいじめだった。不良ぶってる同級生と肩がぶつかっただけでボコられて以来、放課後、私を見つけては校舎内の予備階段に呼び出して、殴打してきた。
 さらには「センズリしろ」と言われて、マスターベーションをさせられたこともあった。
 とにかく会う度にいじめられるので、夜寝るときも不安で寝られず、布団近くでラジカセの音楽をかけて気を紛らわせていた。

高校
・2年生:クラスの同級生が、ふとしたことで「声がカマっぽくて気持ち悪い」と、散々なじられた。英語の授業でテキストを読み上げた時、授業終了後、明らかに聞こえる声で、「あいつの声聴いてるとムカつく。殴りたくなる」と言っていたことも。


・・・など。いわゆるシカトや村八分的なものはなかったが、いじめには変わりない。
 中学で私をいじめた奴は、高校には行かず、衣料系の店で勤務しているという話を10数年前に聞いた。会ったところで復讐とかはしないけど。
 一方で高校ん時のは、もう殺意でギラギラしていた。死んでほしかった。3年からクラスが離れて事なきを得たが、もし一緒だったら高校は休学する可能性があった。3年で、同じく2年で一緒だったドラゴン(やや悪系)が「あいつムカつく奴だったよな」と言ってた時、自分だけじゃなかったんだと思うと救われた気がした。
 なお、この加害者(実名出したいぐらいムカつく)、地元の名門国立大を出た後、某大手証券会社に勤務している模様。さすがに今は復讐とか、そんなことは考えないけど、フツーに日向を歩いているかと思うと、一生かけて許せない気分だ。

 まとめは次項に改めて。
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by lidth-s-jay | 2006-11-16 12:16 | 学校全般

 今回の履修不足問題でよく挙がっている教科が「世界史」である。私の頃(1990年代前半)は社会の選択科目であったが、2003年からは必修科目となった(文系社会は世界史をコアとして日本史・地理・倫理政経などからさらに一教科を選択、合計2教科となる)。にもかかわらず実際には英語・数学などの受験重要科目が教えられていたらしい。
 
 という、重要なのかそうでもないのかよく分からない「世界史」である。確かに守備範囲は広い。なんたって日本史に比べて「世界」だし、中国四千年の云々とかから学習が始まると思うとゾッとする。カタカナだらけでアタマが混乱する。などなど。
 そう、私は世界史が嫌いだった。



 高校2年から、社会で日本史と世界史を学習することになった。授業はどちらも週2回程度だったと思う。
 日本史の先生はただの嫌なオヤジだった。湾岸戦争が起きた頃、「フセインなんか殺してしまえ」と言っていたので、以下先生を「サダム」と呼ぶ。アラブ顔だし。
 世界史の先生は若く、とにかく早口、板書とレジュメの文字量が尋常ではない、まるで予備校の教師のようだった。苗字の頭文字から以下「フサ」と呼ぶ。
 サダムはともかく(・・・)、フサ先生は人気があった。授業にかける情熱やユーモアは他の教科授業に比べても抜きん出ていた。結果、模擬試験科目でも日本史よりも世界史を取る生徒も多かったように思う。

 だが私はダメだった。世界史の時は寝てるか他ごとをしていた。
 別にフサ先生が嫌いなわけではない(もっとも、他の生徒に比べると冷めていたが・・・)。ただ、早口と情報量についていけなかった。うぇーこんなに覚えるのめんどくせー、って。
 一方で日本史のサダム授業も寝ていた。前列なのに寝ていた。一度サダムに蹴られたこともあったが構わず寝ていた。
 そんな私だったが、そもそも社会の受験科目は日本史を選択することを、1年の最初の頃から決めていた。つまり世界史は全くやる気がしなかったのだ。もし、現在のような履修飛ばしをやっていても、多分学校に文句を言わなかったはずだ。あとで「世界史やります」だったらキレるかもしれないけど・・・。
 
 結果、定期テストでは相当の開きが生じた。世界史は確か40点そこそこだった。一方、サダムの授業を聞かなくても日本史は自習量ではガリ勉レベルだったので、かなりよかった。
 この格差をフサ先生は見逃さなかった。授業の際には名前こそ出さなかったものの「いくら受験対策とはいえ、一教科しか勉強しないのを見てると、やめろとは言わんが辛い」と暗に私のことを嘆いた。直接「少しは世界史もやってくれよ」と言われたこともあった。もちろん私は方向転換することもなく、結局そのままの成績で突っ走り、赤点(おおよそ30点以下)を取らない程度にサボりまくった。絶対フサ先生は私にいい感情は持っていなかったはずである。

 3年では日本史・世界史とも担当が交替した。
 日本史はサダムよりも遥かにまともだが、どうみても宣教師にしか見えない「ザビエル」
 世界史は、1年時に現代社会を教えてもらった、インドフェチの「ナマステ」
 どちらも、近現代史(19C後半、江戸時代末期~)ということで、だいぶ守備範囲が重なることが多く、日本史・世界史とも同じ単元を習うこともままあった。従って、嫌いだった世界史にも割りと耳を傾けるようになった(早いスピードのフサ授業に比べて、なんとなくマイペースっぽいナマステ授業に馴染んだ、ということもあった)。
 とはいえ、受験も控えていて今更並立学習するメリットもあまりなく、世界史の成績は2年次に比べてちょこっと上がった程度であった。

 2年次から早々世界史を「捨てて」日本史に集中したせいか、大学試験ではわりと自信を持って臨むことができた。ただ、フサ先生が言っていたように「受験の為の勉強だけでいいのか」という疑問は、高校在学の頃からも少なからず思ってはいた。
 特に大学で、世界の地域関係について学んだ時は、ほんの僅かな世界史の知識が活きる一方、それでも足りない部分は多く、後悔した。メディチやハプスブルクなどの名門の興亡と軌跡を知っているかどうかで、現代ヨーロッパの見方も変わっていただろう、など、細かなことはいろいろある。
 もちろん、大学(さらに社会を出て)から学んでも遅くはないだろうが、学ぶ時の深みを楽しむ度合いは、きっと変わっていたはずだ。



 長々と書いたけれど、受験という「あたかも人生の分岐点にみえる」イベントに惑わされすぎて損得勘定ばかりに走る、そんな勉強は、少なくとも学生の頃は排しておいた方が、人としての豊かさを育んでくれると信じている。
 満遍なく取り組むことは、要領は悪いかもしれないし相当回り道だと思うけれど、振り返る頃になって、たくさん勉強したことを後悔することは、まずない。

 まあ、やりたいことだけやっていれば、楽なんだけど。
 楽ばっかり覚えても、あとから苦労するし。
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by lidth-s-jay | 2006-11-02 12:24 | 高校専用

 このログを書いている現在、高校での必修科目を授業しないで単位を計上する「履修不足・虚偽報告」が全国的に問題になっている。
 Excite エキサイト : ニュース記事へ
 10月末現在で461の学校が対象、約72,000人もの生徒が正規の授業を受けていない状態である。著名な進学校もその中に含まれていて、受験対策に特化し過ぎたカリキュラムが、今回の問題を引き起こした、と言って間違いはないと思う。
 生徒に対する救済をすべきかで、お上(政府)も世論も様々である。「受験が差し迫っているのに負担を強いるのは可哀想だ」「必修を学ばずに卒業・進学とはおかしいのではないか」など。
 私としてはどちらの立場も理解はできるのだが、敢えて言うなら「正規に履修してきた学校の生徒に当然アドバンテージはある」「受験だけの勉強しかしてないような奴はダメになる」という気持ちが強い。
 なので、受験生には酷かもしれないが、正々堂々と卒業の資格を得て、次のステップに進んでもらいたい、なんて考えている。ケータイいじくる時間とオナニーの回数を減らせばなんとかなるって。

 この履修不足が今年の秋になって明らかになった、とはいえ、以前から起こっていた問題ではあると思う。
 なんで今まで出なかったのだろうか。
 センター試験では社会・理科科目ともに1教科、また特に文系の私大・2次試験では大半の学校で1教科で済むわけで、純粋な受験対策を考えるなら学校での2教科履修は不要、ということになるが、「ゆとり教育」の導入で学校も週休2日制となり、学校で教える時間が少なくなって、授業スケジュールを消化しにくくなった、という相反する事情がこうさせたのではないか、と。どこがゆとり教育なのか分からないのだが・・・。
 
 一応私の母校(岐阜県東部)がやっていないか調べてみたが、今のところは免れているようだ。受験マシーン作ってるような学校だったら恥ずかしいのだが、少しホッとした。ライバル視していた近隣のスパルタ校は、バッチリ世界史をすっ飛ばして校長が謝罪していた。



 さて、本題に入ろうと思ったのだがここまでが長すぎたので一旦項を改めて書くことにする。
 瑠璃カケスが高校在校の際は、ちゃんと理科も3年まで、社会も2教科教えていた。おかげで逆に単位に苦しんだが、そんなことも含めて次に譲ることにしたい。
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by lidth-s-jay | 2006-11-01 02:33 | 高校専用