「ほっ」と。キャンペーン

ニッキョウソのセンセイ

 「ここに書くのも久しぶり」が恒例だ、なんていう間に、世間では発足したばかりの内閣の一大臣が在任期間5日という合宿並みの速さで辞任する騒ぎが起きた。「ニッキョウソは日本のガンだ」など、ニッキョウソを徹底批判する発言を続け、辞任した後もその発言、姿勢を撤回しようとしない。肯定的に言えば「貫いている」。インターネット上では彼を擁護する意見も少なからず見受けられる。個人的にはその意見の是非云々より「別にこんな時に言わなくても・・・」という気がするが、どうだろう。

 さて、槍玉に上がっているニッキョウソ。日本の教育をダメにしたとまで言われるこの集団・・・なんだそうだが、実は30ウン年生きてきて、ニッキョウソがどういうモノなのか、実はよく知らない。知らないし知ろうともしなかった。
 イメージとしては「赤い思想を持ったセンセイ達の集まり」「もう古い人」「あんまりセンセイとしての仕事をしない」というところか。数年前だが本の配達の仕事をしていた瑠璃カケスはニッキョウソのアジトにも出向いていたことがあった。古汚い建物の2階で、垢抜けない感じの男女2人が暇そうにしてた。金払いは今ひとつよくなかった。社民党のポスターが貼ってあった。



 昔は、ニッキョウソのセンセイは結構いた、らしい。しかし私瑠璃カケスが知っているニッキョウソのセンセイは、2人。うち1人は、よく覚えている。今から20年も前、中学1・2年、隣のクラスの担任だったミシマ先生だ。
 体育の先生だった。特別授業にならない授業をしていたわけでもなく、普通にバレーもサッカーも陸上もやっていた。クラスも異色という感じはなく、言われなければニッキョウソのセンセイだなんて分からなかった。ただ、体育にしては楽な授業だった。瑠璃カケスは運動音痴なので体育が嫌いだったがミシマ先生はわりかし好きだった。
 中学の養護教諭で校長よりも威張っていたトラバアという嫌なやつがいたが、ミシマ先生はそのトラバアとも果敢に口論していた。クソトラバアに立ち向かった先生なんてミシマ先生ぐらいじゃないだろうか。偶然にもミシマ先生とトラバアは同じ年度で学校を去ることになる。トラバアはもう死んでるかもしれない。
 2年生の時、春の学年合宿の際ダンスを取り仕切ったのがミシマ先生だったが、その時もちこんだYMOのライディーンは今でも忘れられない。ダンスでライディーンとくれば竹の子族だろう、と想起される方は相当中年だと思うが、まさにその通りで、ミシマ先生は中学生の我々に竹の子族ダンスを教え込んだ。他の先生方は反対しなかったのだろうか・・・今思えば、その辺がミシマ先生のニッキョウソ的な片鱗をうかがわせる部分だったのかもしれない。
 
 うちの担任だったヤン先生が、ミシマ先生はじめ同学年の先生たちとカラオケに行った時のことを「ミシマ先生は・・・上手いとは言えんが、元気だけはあるんだよな」と話していた。
 そのミシマ先生、離任式の際、挨拶もほどほどに「上手いとは言えない元気だけある」姿で歌い始めた。あれは歌ではなかった。遠吠えするサルのようだった。もちろん、何を歌っているか分からない。
 音程も無茶苦茶な、ミシマ先生の歌う姿に・・・斜めから見ていた私は、涙をこらえるのに必死だった。もうちょっと上手だったら、そんな寂寥感を抱く事もなかっただろう。
 在校中、車の追突事故に遭い負傷したミシマ先生だったが、今も元気にしているだろうか。もし今でも教職を続けられているとしたら、やはりまだニッキョウソに籍を置いているのだろうか。



 便利な世の中だから、ニッキョウソのことを知ろうと思えば簡単にキーワードを拾えるだろう。だけど先述のとおり特に知りたいとも思えないし、ミシマ先生のことを思い出すと、なんだか、あんまり悪い方向に想像したくない、というのもある。
 

 世の中に疎まれるのではなく「称えられる」センセイが、もっと増えてほしい。そうなれば、子供たちの未来も自ずと開けるんじゃないかなあ。
[PR]
by lidth-s-jay | 2008-10-01 21:32 | 中学校専用