<(1)(2)からの続き・・・>

 当初普通に過ごして終わるはずのナマモノ部・部活動の時間に異変が起きた。

 文化祭(9月)の出展をどうするか、我々ナマモノ部もそれなりに考えあぐねていた。
 化学部のような実験も思いつかず、地学部のようになぜか人一杯(どういうわけかうちの学校の地学部は部員が多かった)で文殊の知恵をかき集めることもできず、本当は別に出し物なんかよかったのだが、ここいらでいっちょ面白いネタでも・・・と真剣になって出した結論は、「シロアリレース」だった。

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 シロアリは、ボールペンで書いた線上を歩く。これはボールペンの成分にシロアリの出す「道しるべフェロモン」と似た物質が含まれていて、そこをシロアリが辿っていくからである(らしい)。
 これを利用して、B紙にコースをボールペン書きし、シロアリをのせて競わせる。
 このシロアリレースに、我々は「当選者にはアイスキャンディーを配布する」という触れ込みをつけた。9月になったばかりの夏日に、これは間違いなく当たるだろう。誰が言い出したかもう思い出せないが、部員は乗り気だった。

 副顧問のハヤノ先生が猛反対した。文化祭は我々ナマモノ部の研究発表の場ではないのか。しかもモノ(アイス)で客を釣るのは論外だ、何を考えてる、と。どう考えても正論であるが20代の先生にしては随分典型的な石頭な意見だった。
 発表なんか張り出しても誰も見に来ない、たとえ部活の主目的から外れても人を呼んで盛り上げることのほうを優先すべきだ、と、多分私が言った。プラナリアだってかわいいけどあいつらみみっちいし。なんでムキになるのか良く分からなかったが、結局生徒側の意見、アイスで客を釣るシロアリレースを催すことで、文化祭パンフにも載せた。
 それほど出席率がよくなかったはずのヤスエさん(3年・唯一の理系)が急に張り切りだして、準備から本番まで進められた。文化祭当日、レース自体を何度やったかは失念したが、懸賞アイス(ミルク棒)が目を引いたか、信じられないほどたくさんの客が来て、B紙の上を這いずり回るシロアリに一喜一憂していた。

 催しとしては、ナマモノ部の出展は成功した。
 しかし、それからハヤノ先生とはまともに会話できなくなってしまった。
 年の前半までプラナリア生態観察など、うまくやってきたつもりだったけれど、文化祭のことで溝を作ってしまったのかもしれない。
 ちなみにプラナリアは、シャーレの水の入れ替えを怠ったところから生育が悪くなり、強い生命力を誇っていた連中も、秋には息絶えてしまった。その少し前から我々3年生は、ゆっくりとナマモノ部から離れていった(私はウタゴエ部の大会を控えていたのでそっちに掛かり切りになってしまった)。



 翌年3月、卒業式のあと、2年生のクワヤマさんが僕ら卒業生に花束を用意してくれた。2年生よりも3年生のほうが部員も多くて、花束の用意も大変だっただろうに、立派な花束をいただいたのを覚えている。
 クワヤマさんはナマモノ部活動報告(学校年刊誌に掲載)で、「最初はどうなるかと思ったけど沢山の先輩が来てくれて楽しかった」というような内容を書いてくれていた。シロアリレースのことも書いてたと思うが。部員も同級生を中心に少し増えたようだった。
 卒業後少し経過して、JRの駅で子供を抱いたハヤノ先生と再会した。お互い急いでいたので大した会話はできなかった。
 「あの時は僕らも阿呆でした」と謝ることが、できたらよかったのにと後悔している。


 プラナリアは清く澄んだ水辺に棲息場所を限られながら、しかし身体が真っ二つに分かれてもそこから生命力を発揮する。
 学校裏には小川が残っていて、さらにナマモノ部も活動しているだろうか。
 もしそうなら、今度はプラナリア分裂タイムアタックとかで文化祭に出したらどうだろうかと、真剣に考えてみた。(おわり)
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by lidth-s-jay | 2012-05-20 20:41 | クラブ活動

<(1)からの続き・・・>

 5月、夏も近づく頃の放課後、私瑠璃カケス、そして7名はいたナマモノ部員が高校の裏手にある小川で、とある生物の採取に躍起になっていた。

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 プラナリア(ウズムシ)である。
 プラナリアはすごい。その再生能力には、本当に驚く。どれだけタテに横に刃物を入れても、復活する(切れた尻尾や頭が生えてくる)。
 目がマンガの登場人物のようにコミカルである。全体の形がチンコにしか見えない。
 綺麗な水辺に生息するらしいのだが、実際学校裏で見つかるとは思いだにしなかった。採取したプラナリアはシャーレに入れて保温庫で飼うことにした。



 遡って4月。
 ナカイ先輩も卒業して、進級した2年生2人だけのナマモノ部に、幽霊部員・瑠璃カケスはまた戻ってきた。
 「今度はウタゴエ部に行くのが面倒になってきた」「私立文系に受験を絞ったため、生物はただの履修科目となってストレスフリーになった」という理由はあった。ただし顧問のジータ先生は、3年も担任だった。私は好かれていたのか危険で目が離せなかったのか。

 そして、部員が増えた。私が同級生を3人勧誘した。勧誘もしていないのに全く知らない同級生の女子が2人入部した。2年生部員も1人新規で入部した。これで、3年生6人、2年生3人(男4人女5人)の、少数ながら「部活動」と言える集団が出来上がった。
 これには、元々の古参部員だった2年生の顔色が大きく変化した。瑠璃カケスが入った当初は全く話しかけてこなかったのに、部員が増えたら急にフレンドリーになってきた。
 また、ナマモノ部の副顧問だったハヤノ先生(助手)が産休から戻ってきて、我々の面倒を見てくれることになった(ジータ先生はもともと居るだけだった)。プラナリアを採りにいくのを勧めたのもハヤノ先生だった。

 全員の部活参加率は、相変わらずよくはなかったものの、私と同級生のシミちゃん、2年生のクワヤマさんは大抵生物室に入り浸るようになっていた。プラナリアの生育日誌をつける以外はたいした活動はしていなかったが、受験本番の手前、ほんの少しゆったりとした時間を、私たちは生物室で過ごしていた。(次回ラスト)
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by lidth-s-jay | 2012-05-20 17:36 | クラブ活動

 高校の部活動についてはこのブログでも紹介している通り、高校2年からウタゴエ部(コーラス)に入っていた。
 実は、ウタゴエ部以外にも私、瑠璃カケスが参加していた部活があった。全然衝撃的でもない事実。
 ナマモノ部。生物部である。



 2年の秋、ウタゴエ部のナカイ先輩(3年)に「ナマモノ部に入ります」と伝えて迎えられた。ナカイ先輩はナマモノ部の部長でもあったのだ。
 そもそもナマモノ部は2年の担任であるジータ先生が顧問だった。当然、理科授業の生物科目も担当。
 そして私は生物が大の苦手だった。当時一応国公立への進学も諦めていなかっただけに、なんとかしないと・・・的な気持ちから、まずはナマモノ部に入って興味を持って、そこからボトムアップを図ろう、と本気で考えていた。
 甘かった。生物準備室に入り浸っても、生物の成績は下がる一方だった。それどころか赤点ラインがくっきり見えていた(まあそこは担任だったから難を逃れたが)。

 部活動といえば、これまた何もしていない。部長のナカイ先輩ですら、単に遊びに来ているだけに見えた。他にも先輩がいたはずだが、全く顔を知らなかった。同学年はゼロ。1年生の後輩(・・・になるのか?)が2人。何もしていない。日曜も遠征とかで扱き使うウタゴエ部とは真逆な活動ぶりであった。
 なので、瑠璃カケスは、1週間も通うことなく見事な幽霊部員となった。ジータ先生からたまに声をかけられた気もするが、生物の成績がひどすぎて、生物準備室すら怖い存在になって、そのまま2年生は終わった。


 そして、3年の春。何を思ったか、瑠璃カケスはナマモノ部の活動を再開した。(続く)
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by lidth-s-jay | 2012-05-19 17:36 | クラブ活動