2012年 10月 07日
連想ゲームで世界を広げる
色だったり味だったり、人によって似てたり違っていたり、と、様々な言葉が出てくるのだと思う。
中学生の時通ってた学習塾で、まさに今と同じ質問が先生から出された。
「お前ら、みかんって聞いてパッと浮かぶものってなんだ?」
塾生全員が思い思いに言葉を並べていく。連想ゲームである。
「黄色(オレンジ)」「すっぱい」「丸い」「食べたい」という直感的な反応も多かった一方で「寒い」「コタツ」「ネコ」と、もうひとつ先の反応をした子もいた。瑠璃カケスは・・・多分前者のほうだったと思う。
一通りでたあと先生の解説。
・「みかん」という言葉からどれだけの想像力が働くか。
・ひとつの言葉をもとに広い連想ができれば、国語の力が育まれる。
・たとえば「コタツ」などは、みかんのある情景を浮かべたという意味では、なかなかのもの。
など。
過去の例で、「みかん」と聞いて「海」と答えた子がいたらしい。
その子は、旅先で海辺を走る電車に乗ったところ、車窓からみかんの木が並んでいていたのが印象的で、海という言葉を思いついた、とのこと。独創的とまでは思わないが、「食べたい」とか言う食いしん坊よりは少し内なる情景が豊かなのだろうと、その時は妙に感心した。
このあと、瑠璃カケスは家でも姉にこの連想ゲームをやってもらっていたが、チープな反応しか出来なくて「おらぁだめだぁ」なんて諦めてしまった。
今だったら、みかんは「別れ」と答える。芥川龍之介の小説に、そんなようなものを連想させるシーンがあった(「レモン」だったら「ザ・テレビジョン」では情けないので「うなされるほどの高熱」と言っておきたい。「くりぃむれもん」とか以っての外である)。
大人になってしまうと答え探しばっかりになって、面白みが薄れるのが残念。
それでも、以前、映像作家の人が「風にも色があるんですよ」と、さらりと話してた時は、すごいな、と思った。
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by lidth-s-jay
| 2012-10-07 09:37
| 中学校専用
2012年 10月 06日
恋とはどんなものかしら
恋わずらい。そうなったとしても腹は減るし、男ならエロ本とかグラビアを見てたらパンツも脱ぐしで、その辺は理性と欲求の棲み分けはできているようだが、それでも、好きな子のことを考えると夢心地になっていたのは、間違いない。
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瑠璃カケスも何度か恋わずらいを経験したが、特に高校のときだろうか、自分でも気持ち悪いぐらいに、女の子が好きで好きでたまらない時期があった(しかし性欲とは全く別だった。我ながらピュアなものである)。
夜、布団にかぶっていても女の子のことで頭がいっぱいになる。そうなると、いわゆる躁状態となり、猪突猛進あるのみ、つまり「明日の朝告白するぞ!!」と決め込んでしまう。脳内ウオーミングアップ。そしてストレート3球勝負を挑む気力万全。寝る前なのに。
これで夜も眠れないか、というと、多少寝つきが悪いこともあったものの、程なく夢の中へ落ちていった。
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朝。身体を起こしてふと考える。「あれっ 告白とか思ってたけど・・・」
急激にテンションが低下しているのが分かる。あんなに告白するぞ、告白するぞ、午前8時に階段踊り場で告白するぞ、と息巻いていた夜が嘘のように。面倒だし、まあいいか。
そして、1日が始まる。
しばらくは、夜興奮、寝て、朝振り出し、の繰り返しが続いた。多重人格とか、我ながら病気かと思うぐらいの変わりようだった。厚生省には恋わずらいを疾患の一種として認定してもらいたかった。
あと、夜気持ちが高ぶってるなら、夜のうちにその子に電話して伝えることができたかもしれない。もっとも現在のメールほど手軽ではなく、結局躊躇した。メールだったら多分直感的に何回か告白して、そのたび落ち込んでるだろうなあ。
結果、高校生のうちはどの女の子にも気持ちを伝えることもなく終わった。当然ながら気持ちを伝えられることもなかった。がっくり。
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あれから20年が経ち、寝る時に考えて幸せになるのは「近々食べたいもの」である。
ああカツ丼もたまにはいいなあ、なんて。
今じゃあ色気より食い気なのかね、とちょっと寂しくなりながら、この頃もやはり、夢の中に落ちていくのである。
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by lidth-s-jay
| 2012-10-06 08:39
| 男子・女子
2012年 06月 05日
いつも心にチェッカーズを
今のアイドル好きな人の程度がどれほどかよく分からないが、たとえばコンサートに行くとかグッズを集めるとかは今昔同じなのだろうか。現在のアイドルトレンドを書くにはモノを知らなさ過ぎるが、昔のことなら少しは思い出せる。
1984年(昭和59年)春の話をしよう。
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この時期は、ちょうどトップアイドルの転換期で、特に男性アイドルとして人気赤丸急上昇していたのは「チェッカーズ」だった。藤井フミヤとその他大勢がちっちゃな頃から悪がきで15で不良と呼ばれたよとか歌う、あのチェッカーズである。それまでのたのきん、シブガキ隊の人気との比較は難しいものの感触としては相当熱狂的だった。
そして、このころ学校では、カンペンケース(金属製の筆箱)に貼り付けるステッカーが流行っていた。そのステッカーは、彼らの写真であるならともかく、「チェッカーズ命」とか「フミヤ命」などと、文字が書かれているだけのものも随分あった(のに結構売れまくっていた)。ステッカーに隠れてしまったスヌーピーやバイキンくんが哀れである。
学校指定の文具購買店では、ステッカーを買い漁る子が絶えなかった。
しかし、女子があまりにもチェッカーズかっこいいとか黄色い声で熱を上げてるのは、男子としても面白くなかった。
ある日、氾濫するステッカーのデコ筆箱に目をつけて、男子が学級会で「あれは学校に不必要なものだ」という規制の動議を提出した。
女子は当然「そのぐらいいいじゃない」と反発したが、学校という場所ゆえ、言い分としてはやっかみ男子側が優勢だった。私瑠璃カケスも「あんなもの、何の栄養にもならない(同じ30円で麦チョコ買ったほうがマシ)」という詭弁すら堂々と言ってのけた。
結局、「学校に持ってくるカンペンへのステッカー貼りは禁止」という判断で決着した。
もっともこれは我が組だけの判断なので、他の組は規制などなかったかもしれない(往々にしてそういうことがある。ゲームウォッチの持ち込みも、クラスによってまちまちだったことがあった)。
なお、これはステッカーだけの話で、下敷きなど他の文具に対しては規制はされなかった。ステッカーほどの無駄度が低かったからである。
しかし男子はそれまた面白くなく、チェッカーズグッズを持った女子を見つけては冷やかしを続けていた。自分たちの野暮ったさを棚に上げて冷やかしたところで結局自分たちの価値を下けるだけなのに、男たちは一体何がしたかったのだろう。
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チェッカーズは我々の小学校高学年時代、84年~85年が一番の人気絶頂期だったと思う。92年のNHK紅白歌合戦で解散したが、親衛隊のキンキン声は全く変わっていなかった。
・・・という時代から数十年経過して、なんとあの藤井フミヤさんも今年(2012年)で50歳になるらしく、つい最近、写真を見たら、
なんというか藤井フミヤというより藤子不二雄Aという感じだった(富永一朗も入ってる)。
これをかつてのフミヤ命な女子が見たら卒倒するだろうなあ。
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by lidth-s-jay
| 2012-06-05 19:35
| 流行
2012年 05月 20日
ナマモノ部ときどき波乱万丈(3)シロアリをめぐる対立
当初普通に過ごして終わるはずのナマモノ部・部活動の時間に異変が起きた。
文化祭(9月)の出展をどうするか、我々ナマモノ部もそれなりに考えあぐねていた。
化学部のような実験も思いつかず、地学部のようになぜか人一杯(どういうわけかうちの学校の地学部は部員が多かった)で文殊の知恵をかき集めることもできず、本当は別に出し物なんかよかったのだが、ここいらでいっちょ面白いネタでも・・・と真剣になって出した結論は、「シロアリレース」だった。
シロアリは、ボールペンで書いた線上を歩く。これはボールペンの成分にシロアリの出す「道しるべフェロモン」と似た物質が含まれていて、そこをシロアリが辿っていくからである(らしい)。
これを利用して、B紙にコースをボールペン書きし、シロアリをのせて競わせる。
このシロアリレースに、我々は「当選者にはアイスキャンディーを配布する」という触れ込みをつけた。9月になったばかりの夏日に、これは間違いなく当たるだろう。誰が言い出したかもう思い出せないが、部員は乗り気だった。
副顧問のハヤノ先生が猛反対した。文化祭は我々ナマモノ部の研究発表の場ではないのか。しかもモノ(アイス)で客を釣るのは論外だ、何を考えてる、と。どう考えても正論であるが20代の先生にしては随分典型的な石頭な意見だった。
発表なんか張り出しても誰も見に来ない、たとえ部活の主目的から外れても人を呼んで盛り上げることのほうを優先すべきだ、と、多分私が言った。プラナリアだってかわいいけどあいつらみみっちいし。なんでムキになるのか良く分からなかったが、結局生徒側の意見、アイスで客を釣るシロアリレースを催すことで、文化祭パンフにも載せた。
それほど出席率がよくなかったはずのヤスエさん(3年・唯一の理系)が急に張り切りだして、準備から本番まで進められた。文化祭当日、レース自体を何度やったかは失念したが、懸賞アイス(ミルク棒)が目を引いたか、信じられないほどたくさんの客が来て、B紙の上を這いずり回るシロアリに一喜一憂していた。
催しとしては、ナマモノ部の出展は成功した。
しかし、それからハヤノ先生とはまともに会話できなくなってしまった。
年の前半までプラナリア生態観察など、うまくやってきたつもりだったけれど、文化祭のことで溝を作ってしまったのかもしれない。
ちなみにプラナリアは、シャーレの水の入れ替えを怠ったところから生育が悪くなり、強い生命力を誇っていた連中も、秋には息絶えてしまった。その少し前から我々3年生は、ゆっくりとナマモノ部から離れていった(私はウタゴエ部の大会を控えていたのでそっちに掛かり切りになってしまった)。
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翌年3月、卒業式のあと、2年生のクワヤマさんが僕ら卒業生に花束を用意してくれた。2年生よりも3年生のほうが部員も多くて、花束の用意も大変だっただろうに、立派な花束をいただいたのを覚えている。
クワヤマさんはナマモノ部活動報告(学校年刊誌に掲載)で、「最初はどうなるかと思ったけど沢山の先輩が来てくれて楽しかった」というような内容を書いてくれていた。シロアリレースのことも書いてたと思うが。部員も同級生を中心に少し増えたようだった。
卒業後少し経過して、JRの駅で子供を抱いたハヤノ先生と再会した。お互い急いでいたので大した会話はできなかった。
「あの時は僕らも阿呆でした」と謝ることが、できたらよかったのにと後悔している。
プラナリアは清く澄んだ水辺に棲息場所を限られながら、しかし身体が真っ二つに分かれてもそこから生命力を発揮する。
学校裏には小川が残っていて、さらにナマモノ部も活動しているだろうか。
もしそうなら、今度はプラナリア分裂タイムアタックとかで文化祭に出したらどうだろうかと、真剣に考えてみた。(おわり)
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by lidth-s-jay
| 2012-05-20 20:41
| クラブ活動
2012年 05月 20日
ナマモノ部ときどき波乱万丈(2)私たちは増殖していく
5月、夏も近づく頃の放課後、私瑠璃カケス、そして7名はいたナマモノ部員が高校の裏手にある小川で、とある生物の採取に躍起になっていた。
プラナリア(ウズムシ)である。
プラナリアはすごい。その再生能力には、本当に驚く。どれだけタテに横に刃物を入れても、復活する(切れた尻尾や頭が生えてくる)。
目がマンガの登場人物のようにコミカルである。全体の形がチンコにしか見えない。
綺麗な水辺に生息するらしいのだが、実際学校裏で見つかるとは思いだにしなかった。採取したプラナリアはシャーレに入れて保温庫で飼うことにした。
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遡って4月。
ナカイ先輩も卒業して、進級した2年生2人だけのナマモノ部に、幽霊部員・瑠璃カケスはまた戻ってきた。
「今度はウタゴエ部に行くのが面倒になってきた」「私立文系に受験を絞ったため、生物はただの履修科目となってストレスフリーになった」という理由はあった。ただし顧問のジータ先生は、3年も担任だった。私は好かれていたのか危険で目が離せなかったのか。
そして、部員が増えた。私が同級生を3人勧誘した。勧誘もしていないのに全く知らない同級生の女子が2人入部した。2年生部員も1人新規で入部した。これで、3年生6人、2年生3人(男4人女5人)の、少数ながら「部活動」と言える集団が出来上がった。
これには、元々の古参部員だった2年生の顔色が大きく変化した。瑠璃カケスが入った当初は全く話しかけてこなかったのに、部員が増えたら急にフレンドリーになってきた。
また、ナマモノ部の副顧問だったハヤノ先生(助手)が産休から戻ってきて、我々の面倒を見てくれることになった(ジータ先生はもともと居るだけだった)。プラナリアを採りにいくのを勧めたのもハヤノ先生だった。
全員の部活参加率は、相変わらずよくはなかったものの、私と同級生のシミちゃん、2年生のクワヤマさんは大抵生物室に入り浸るようになっていた。プラナリアの生育日誌をつける以外はたいした活動はしていなかったが、受験本番の手前、ほんの少しゆったりとした時間を、私たちは生物室で過ごしていた。(次回ラスト)
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by lidth-s-jay
| 2012-05-20 17:36
| クラブ活動