2022年 10月 19日
国電同時多発ゲリラ事件、そしてPC8801mk2MR/FR
1985年(昭和60年)11月29日(金)の話である。当時私は小学6年生だった。
前の日、午後から具合が悪くなり、翌金曜日も熱が下がらないため学校を休むことにした。ひどい高熱ではなかったが、当時の倦怠感は少し覚えている。仕事があるはずの母親が日中付き添ってくれたが、付添だったのか母も風邪を引いて休んだのか、今はもう分からない。
学校を休んだとき、テレビを観ることが多かった。子供向きの番組は少なく、普段は敢えてNHK教育(今のEテレ)を観たりした。リモート学習の先駆けである。
ただ、この日は母もいたので朝からワイドショーを見ていた。映っていたのは、煙を立てて混乱している国鉄の駅周辺だった。何か知らんが40数名が逮捕されたとのこと。いろいろな事件をニュースで知るようになっていたが、こんなにたくさんの人が逮捕されるというニュースを見聞きしたことは、それまで無く、ただただ驚いた。
後に「国電同時多発ゲリラ事件」と呼ばれるようになる、新左翼過激派によるテロ事件である。
国内各地で鉄道の通信ケーブルを切断したり設備を放火したりの妨害を行って運行不能に全国の通勤通学客650万人以上に影響を与えた・・・つまりこの日、私以外にも仕事や学校を休んだ人はいつも以上に多かったはずだ。サヨク的に言えば「同志!」である。
小学生の私が「左翼的な活動」として知り得ていたのは安保や戦争反対を訴えた(主に)学生運動だった(もっとも、右翼と左翼の違いも分からない)。そこにきて、国電ゲリラ事件で「過激派」を知った。ワイドショーでは中核派の過去の犯罪(たぶん内ゲバ)を振り返っていて、死者も出ていたことを伝えていた。学生運動もずいぶん過激だったが、当時の労働組合と過激派、そして国鉄との関連が分からないまま、テレビの「文字の書かれたヘルメットをかぶったオッサンが暴れる」姿を見るだけだった。もちろんそれだけでも恐ろしい、そして変な人たちだなあという思いが残った。
その後も新左翼の本質を知ろうと思うことはなく、何をしてきたのかを知るのは大人になって随分経ってからである。
国電ゲリラ事件は、その2年後に控える国鉄民営化への反対をアピールする行動だったようだが、通信ケーブルを切る犯行に喩えられる「民営化・合理化に反対する」動きは、それまでも電電公社(現NTT)、日本専売公社(JT)、郵便局(日本郵便)などでも起きていた。合理化というか、たとえば設備機器の性能向上によって人の労働力が必要なくなるのではという不安を、組合そして新左翼は過剰に煽り立てていた。
そんな折、過激派の報道を観ている最中に新聞に目を落とし見つけたのは、NECのパソコン広告、「PC8801mk2シリーズの新機種登場」だった。
同年に発売されたmk2SRを機能強化したmk2MRと、廉価版のmk2FRの2機種。FRでも標準価格は17万円くらいで今よりはパソコンも高級品だったが、一般家庭でもパソコンがある時代になりつつあること、そして技術は確実に進歩していることを実感した。この機種は掲載通り1985年11月に発売された。
60年代・70年代の流れのまま合理化反対を訴え事件を起こした新左翼、次々と発売されるパソコン・・・私にとって1985年という年は、時代のターニングポイント、分岐点のひとつだったという思いが今も強い。
そして、今年(2022年、令和4年)は鉄道開業150周年、各地でイベントが催される。記念すべき年ではあるが、国鉄の数々の過激派事件を思い起こす人はどれだけいるのだろうか。
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by lidth-s-jay
| 2022-10-19 17:35
| 小学校専用
2020年 09月 11日
君はへび玉を見たか
つい最近のニュースで「妖怪(おばけ)けむり」と言われる玩具が製造終了すると聞いた。紙を指で挟んでネチネチいじくると煙が発生するというもの。煙というよりは細い糸が出ているようだったが・・・ちなみに原材料は五酸化二リンという物質らしい。よく分からないがそんなものを指でネチネチするとは。
私が小学生だった昭和50年代、駄菓子屋や文具店に行くとこういう変なものがいくつか置いてあった。割れない風船「ポリバルーン」、海外の使用済み切手を景品にする「くじ」、モールに目が付いた、手のなかで動く「モーラー」、など。階段を下りるバネってのもあったな・・・。
そしてその中に究極のどうでもいい玩具、「へび玉」はあった。
へび玉というのは1㎝弱の真っ黒な錠剤で、火をつけると曲線状に膨張して、それが蛇のように伸びるのである。蛇というよりは動物のフンのようである。おばけけむりがある程度びっくり度はあったのに、へび玉は伸びるだけ。なのに店頭では紙板に何十個か貼り付けて目立って売られていた。
小学2年生のある日、それを見つけた最初のうち素通りしていた私も、へび玉ってどうなるんだろう??と興味を持ち始め、ある時へび玉を買ってみた。小さな透明の袋にへび玉が5,6個入っていただろうか。まもなく父親とへび玉に火をつけ伸ばした。おわり。本当にしょうもないモノだった。
ところが、このへび玉、学校では購入を控えるべき商品の対象になっていたらしい。理由は覚えていないが火を使うことが問題なのか、そもそもこんな糞みたいな玩具に金を捨てるなという意味だったのか。たぶん前者の火気注意の面からだったと思う。
そんな学校のお触れ?を知っていた私の姉が、糾弾し始めた。学校でやっちゃいけないへび玉で遊んでいたお前は悪いやつだと。それを真に受ける私。姉が怖かったのだ。
怖いのを知っている姉は増長した。何かにつけて「言うこと聞かないとへび玉のことチクるぞ」と脅してきた。しまいには寝るときにも下のベッドから「へび玉!」と言ってきた。私は布団に包まって怯えた。そんなやりとりがしばらく続いた。
可笑しなものである、私は父親とへび玉をやっていたのだ。30代サラリーマン男性である保護者の監視下のもと数秒で終わるへび玉を燃やしていただけ。仮に本当に学校で禁じられているものだとしても、ある意味30代男性保護者がへび玉をやっているのを横で見ていただけに等しい。何を怯えていたのか今でもよく分からない。
へび玉で遊んでから数日後、姉がやはり「へび玉!へび玉!」と私を脅迫して困らせているのを母親が見かけ、姉にどういうことだと問い質し、何か説明していたようだが先述の通り私の単独行為ではなく、しかもそれで脅しまくっていたことに対して、姉はこっぴどく叱られていた。さすがに「ざまあみろ」と思った。理不尽な脅迫はそれ以来減ったか無くなったはずである。
振り返ると、紙巻鉄砲やかんしゃく玉だって火薬を使っていたのに特に保護者監視下で遊んでいたわけではなく(さすがに爆竹はある程度威力があったので一人では無理だった)、たかがへび玉に翻弄される私が相当愚かであった。あんないにヘボいのに。
さらに今調べたところ、昔のへび玉はチオシアン酸水銀(二価)という物質を含んでいて。発火すると蒸気となった水銀が有毒であったらしい。それを学校がこのような理由で使用不許可としていたのなら親同伴であっても遊ぶべきではなく、姉がへび玉やるなと言うのも一理ある。が、そんなアナウンスはなかったので姉は単にからかっていた以外にない、と今でも断言しよう。
へび玉は現在も製造販売中のようである(現在の内容物は安全なものを使用してるとのこと)。
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by lidth-s-jay
| 2020-09-11 13:30
| 流行
2016年 01月 16日
百人一首と6年3組
端的にいえば百人一首もカルタの一種類であるが、「和歌を覚えてしまえば勝てる」という要素が強いため、上の句を覚えて、いち早く下の句の札を取れるかに躍起になったものだ。よく言われる「むすめふさほせ」のように、中には上の句一文字で下の句を当てることもでき、従ってみんなが狙ってくる(紫式部の「め~」でクワッ!!となった方もいるだろう)。逆に「きみがため」「あさぼらけ」など、初句(出だし5文字)が共通しているものもあった。もっとも暗記とは関係なく自分の好きな和歌をチョイスしてその時だけ頑張って取る、なんてこともあった(そしてそれが他人に取られるのがこの上なく悔しいことであった)。
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その百人一首、学校でも授業の延長で数回やったことがあるのだが、よく覚えているのが中学1年生の百人一首大会でのことだ。
うちの中学校は2つの町の小学校が一緒の校区となっていたが、隣のシモイシ小学校の6年3組出身者が、妙に百人一首のレベルが高かった。
百人一首とは話が違うが、このシモイシ小6-3は、別の学校出身の私から見て、他の1組・2組に比べると「おとなしい」クラスの印象だった。どうやら3組はオジサンっぽい先生が担任で、何かと反省文を書かせたがる人だったらしい。ああどこにでも面倒な先生っているんだなあと思っていたが、加えて3組はどういうわけか百人一首に熱を入れていたようで、全部の和歌(百首)を暗記させようとしていたとか(この辺記憶が曖昧)。真偽のほどは不明だが、確かに“おとなしい”3組出身者が百人一首で豹変する姿は、なかなか面白いものを見た気がした。
私はシモイシ小でも6年3組出身でもなく、加えてカルタの類が不得意(反射神経が鈍い)だったので、百人一首は苦手だった。最初にクラスで百人一首をやって、取れた枚数に応じてランク分けし、今度はそのランクに併せて他のクラスの子と同レベル対決を行う。我々Dランクの烏合の衆がヘボ百人一首(上の句全部読みきっても取る札が分からない、など)をやっている一方で、別の教室では3組出身者を中心としたAランクの猛者がハンターのように札を狙い撃ちするシーンが繰り広げられた。同じ学年とは思えない。学年260名の頂点に立ったのがどんな子なのか、まったく覚えていない。
学校でやる百人一首は冬ではなく、夏にやったほうがいいと思う。そのほうが男子は俄然張り切るはずだ。まあカルタでもいいのだが。
※文中画像は「いらすとや」様のものを一部加工して使用しております。
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by lidth-s-jay
| 2016-01-16 16:52
| 中学校専用
2015年 07月 19日
小学校文集1984(生画像)
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by lidth-s-jay
| 2015-07-19 22:09
| 小学校専用
2015年 07月 18日
Mコミューン 1986~1989
4月の新学期、クラス改編の際に先生たちによる「生徒の人選」がなされる。もうここで概ねのクラスの特色が決定されている。そして、選んだ担任の先生が最終的な「味付け」をして(しなくて放置する先生も、いる)、1年間を過ごすのだ。
さらに思い出してほしい。同じ学年のなかに、際立って統率されて、集団行動が抜きん出ていたクラスがなかったか。そして先生、生徒ともに「僕たちがルールだ!!」と言わんばかりに跋扈していなかったか。
これは批判ではない。むしろ、どちらかというとゆるいクラスにばかり所属していた私は、いい意味でまとまり、緊張感のあるクラスに所属することを望んでいたこともあった。学級合唱も、そういうクラスのほうが上手だったし、うらやましいという思いのほうが強かった。
ただし、統率されたクラスは、言うまでもなく「危険」な雰囲気をも帯びていた。当時、小中学校でよく使われた「団結」という言葉、あれはかつての社会運動での意味と同じだった。集団行動から外れたとき、先生だけではなく生徒間からも糾弾され、異質な空気を纏いながら、そのクラスは「団結」していくのだ。
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1986年(昭和61年)、中学1年の初夏。授業で、別のクラスとドッジボール大会の練習をすることになった。うちのクラス(D組)の担任はその時不在で、相手のクラスのM先生が2クラスを見ることになっていた。
このクラス、A組こそが、今まで述べてきたとおりの、典型的な「統率されたクラス」であった。クラスメイト全員がオリジナルのチェック柄な黄色いハチマキをしていた。まだ本番ではない、練習なのに。全員の動きが異様にキビキビしていた。先生がとにかく厳しい。怒号が響く。もちろん別クラスであるはずの私たちにも。「こういっては何だが、貴方達D組はうちのA組と比べてレベルが低い」とハッキリ言われた。おとなしいD組の私達は悔しくても返す言葉もなかった。
A組は夏のキャンプのときも夜中まで合唱していた。僕らがバンガローの中でどの女が好きだ?みたいな話をしているときも、蒸し暑い屋外で、オメガトライブの「君は1000%」をずっと合唱していた。
当然文化祭の合唱でもA組は張り切っていた。抑揚のついた、よく練習された合唱だった。さすがに音楽の先生が担任のB組のほうが一枚上手だったが。(ちなみにD組は本来伴奏の必要な曲にピアノ演奏も用意できず、指揮者の子も途中でやめたりと破滅気味のままステージに立ってしまった)
当時A組にいた奴らに話を聞くと、「確かにあのクラスはちょっと危なかった」「だけどM先生の力が強すぎて従うままだった」「あれはM先生のシュミ(特にハチマキ)」と、そこまで染まっている感じではなかったようだ。しかし一方で2年、3年と進級してもM先生はA組のままで、そこに吸い込まれた生徒のうち何人かはM先生に心酔していた。暢気だった奴なのに、A組になったとたん厳しい言葉を投げかけるようになっていったクラスメイトを何人か見た。
M先生は、3年次には生徒会の顧問をも兼任していた。究極的には「A組による全校支配」、集団主義から全体主義への拡大化に映った。たとえ生徒会役員が他のクラスであってもA組的な行動を植えつけさせる。「生徒に徹底的に考えさせる」向きもあったが、根本は「俺(M先生)の言うとおりにしろ」なのは、明白だった。
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卒業して年月が経過し、そんなクラスもあったなあという程度だったが、先日70年代の統制的な学級運営を扱った「滝山コミューン1974」(原武史・著 講談社文庫)を読み、真っ先にA組のことを思い出した。
その本では先生がクラスに欲しい子を選び、学級内で競わせ実践し、ついには生徒会の要職を占有し支配する流れを紹介していた(これではあまりにも言葉足らずであり、あの頃(70年~80年代)の集団主義教育に興味のある方はご一読されることをお勧めしたい)。
小中学校という、単なる義務教育ではなく「団結」や「連帯」が優先されたあの頃の空気は、今では気味の悪いものだったと思わざるを得ない。
そういう意味で、当時と違い私はA組に入らないでよかったと心底思っているが、在籍していたらそれなりにMコミューンで生き抜こうとしていたはずだ。
あのハチマキを巻いて。
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by lidth-s-jay
| 2015-07-18 15:44
| 中学校専用