2025年 03月 04日
イトウスミコは2人いる
小学3年生、2学期のクラスで、同じ席割グループ(男女2人)にいつも叱責されて泣いていた記憶がある。いじめではなく、私が宿題・持ち物を忘れてばかりでそれを咎めるのだ。通知表の先生コメントに「今学期は女の子達に叱られていましたね」のようなことが書いてあった。物語(?)はここから始まる。
グループのきっつい女子の一人にイトウスミコというのがいた。
容姿もよくスポーツも不得意ではない、そして勉強もできた。そんなイトウスミコだが男子に対しては徹底的に厳しかった。男子は駄目だ、だらしがない、ちゃんとしていない、等々もはや人格否定に近い勢いだった。忘れ物大王だった私などケチョンケチョンだった。
あと、イトウスミコは感想文等のコンクールで度々入賞していたことを割と自慢していて、鼻持ちならない奴だな当時から思っていて、当然嫌いになった。小学3・4年生の2年間同じクラスになったが殆ど話した覚えがない。
ここまでが1984年(昭和59年)3月の話。
そこから7年過ぎ1991年(平成3年)、私は高校3年生になっていた。
同じクラスにイトウスミコはいた。小学4年生以来だ。
小学校のときのような威張った感じはナリを潜めていて、何某か気合が足りない、授業中も寝ているような女だった。堕落したのかと言えばそうでもなく、特に文系教科の成績は良かったようだ。小学生のときもそうだったが頬が赤く、クラスメイトの一人は「あいつは青森の女だ」と呼んでいた。別の男が告白してフラれたはずだ(もしかしたら告白ではなくただの片思いで終わったのかもしれない)が、なんでイトウスミコなんだ、あいつだぜ??と私は高3になっても思っていた。
少なくとも秋くらいまでは私はイトウスミコと話した記憶がまったくない。
10月頃のホームルームの時間、自分の名前を書いたわら半紙を回して、匿名でメッセージを書いてもらう「Xからの手紙」というのを催した。
書いた人間の名前が無くても実は筆跡で誰かは大体わかる。イトウスミコが私に書いてきたのは「相変わらず目立ちたがり屋って感じ」だった。半殺しにしたい気分だったが我慢した。私が彼女に何を書いたのか覚えていないが、もしかしたら何も書かなかったかもしれない。
受験が近づいた冬、今まで話もしなかったイトウスミコが話しかけてきた。どこの大学受験するんだ?と。
仕方なく答えると「ワハハ!あんたじゃ落ちるわ!!」と無遠慮に言ってきた。こいつはどこまで俺のことが嫌いなのか全くわからなってきた。そして私はイトウスミコのデリカシーの無さに、正直清々しさすら覚えた。ああ、こいつは小学生の頃から何も変わってない、一貫してるんだ、と。うるさい黙れぐらいには返してやったはずだ。
2月、「あんたは落ちる」と言われた私はその大学には合格した。実はイトウスミコ以外にも「お前は落ちる」と散々言われていて、それが発奮材料になっていた。「受験は気合いだよな勉強になったわ」といった同級生は、イトウスミコにフラれた男だった。
そのイトウスミコも、近場の国公立に合格した。あいつ寝てたくせにやる気なかったくせに・・・と思いながらも、まあ大したもんだわと感心した。直接おめでとうなんか言うわけないが、小学生のときからの同級生がちゃんと結果を出しているのは、他人ながら誇りでもあった。
同じ県内の大学だったが、交通手段(路線)がかなり違ったからか、高校を卒業してから私がイトウスミコと会うことはなくなり、唯一、英検の試験会場前で会ったぐらいだ。その時にはいがみ合うこともなく普通に言葉を交わしたことだけは覚えている。
私が程度こそあれイトウスミコを嫌いだったのは間違いないが、高校生になってからはそれほど嫌いでもなくなり、卒業してしまえば「そんなこともあったっけ」という程度になった。
これは私あるいはイトウスミコが大人になった証拠なのか、我慢を覚えただけなのか。やっぱり分からんもんだね。
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by lidth-s-jay
| 2025-03-04 18:36
| 同級生
2022年 10月 19日
国電同時多発ゲリラ事件、そしてPC8801mk2MR/FR
1985年(昭和60年)11月29日(金)の話である。当時私は小学6年生だった。
前の日、午後から具合が悪くなり、翌金曜日も熱が下がらないため学校を休むことにした。ひどい高熱ではなかったが、当時の倦怠感は少し覚えている。仕事があるはずの母親が日中付き添ってくれたが、付添だったのか母も風邪を引いて休んだのか、今はもう分からない。
学校を休んだとき、テレビを観ることが多かった。子供向きの番組は少なく、普段は敢えてNHK教育(今のEテレ)を観たりした。リモート学習の先駆けである。
ただ、この日は母もいたので朝からワイドショーを見ていた。映っていたのは、煙を立てて混乱している国鉄の駅周辺だった。何か知らんが40数名が逮捕されたとのこと。いろいろな事件をニュースで知るようになっていたが、こんなにたくさんの人が逮捕されるというニュースを見聞きしたことは、それまで無く、ただただ驚いた。
後に「国電同時多発ゲリラ事件」と呼ばれるようになる、新左翼過激派によるテロ事件である。
国内各地で鉄道の通信ケーブルを切断したり設備を放火したりの妨害を行って運行不能に全国の通勤通学客650万人以上に影響を与えた・・・つまりこの日、私以外にも仕事や学校を休んだ人はいつも以上に多かったはずだ。サヨク的に言えば「同志!」である。
小学生の私が「左翼的な活動」として知り得ていたのは安保や戦争反対を訴えた(主に)学生運動だった(もっとも、右翼と左翼の違いも分からない)。そこにきて、国電ゲリラ事件で「過激派」を知った。ワイドショーでは中核派の過去の犯罪(たぶん内ゲバ)を振り返っていて、死者も出ていたことを伝えていた。学生運動もずいぶん過激だったが、当時の労働組合と過激派、そして国鉄との関連が分からないまま、テレビの「文字の書かれたヘルメットをかぶったオッサンが暴れる」姿を見るだけだった。もちろんそれだけでも恐ろしい、そして変な人たちだなあという思いが残った。
その後も新左翼の本質を知ろうと思うことはなく、何をしてきたのかを知るのは大人になって随分経ってからである。
国電ゲリラ事件は、その2年後に控える国鉄民営化への反対をアピールする行動だったようだが、通信ケーブルを切る犯行に喩えられる「民営化・合理化に反対する」動きは、それまでも電電公社(現NTT)、日本専売公社(JT)、郵便局(日本郵便)などでも起きていた。合理化というか、たとえば設備機器の性能向上によって人の労働力が必要なくなるのではという不安を、組合そして新左翼は過剰に煽り立てていた。
そんな折、過激派の報道を観ている最中に新聞に目を落とし見つけたのは、NECのパソコン広告、「PC8801mk2シリーズの新機種登場」だった。
同年に発売されたmk2SRを機能強化したmk2MRと、廉価版のmk2FRの2機種。FRでも標準価格は17万円くらいで今よりはパソコンも高級品だったが、一般家庭でもパソコンがある時代になりつつあること、そして技術は確実に進歩していることを実感した。この機種は掲載通り1985年11月に発売された。
60年代・70年代の流れのまま合理化反対を訴え事件を起こした新左翼、次々と発売されるパソコン・・・私にとって1985年という年は、時代のターニングポイント、分岐点のひとつだったという思いが今も強い。
そして、今年(2022年、令和4年)は鉄道開業150周年、各地でイベントが催される。記念すべき年ではあるが、国鉄の数々の過激派事件を思い起こす人はどれだけいるのだろうか。
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by lidth-s-jay
| 2022-10-19 17:35
| 小学校専用
2020年 09月 11日
君はへび玉を見たか
つい最近のニュースで「妖怪(おばけ)けむり」と言われる玩具が製造終了すると聞いた。紙を指で挟んでネチネチいじくると煙が発生するというもの。煙というよりは細い糸が出ているようだったが・・・ちなみに原材料は五酸化二リンという物質らしい。よく分からないがそんなものを指でネチネチするとは。
私が小学生だった昭和50年代、駄菓子屋や文具店に行くとこういう変なものがいくつか置いてあった。割れない風船「ポリバルーン」、海外の使用済み切手を景品にする「くじ」、モールに目が付いた、手のなかで動く「モーラー」、など。階段を下りるバネってのもあったな・・・。
そしてその中に究極のどうでもいい玩具、「へび玉」はあった。
へび玉というのは1㎝弱の真っ黒な錠剤で、火をつけると曲線状に膨張して、それが蛇のように伸びるのである。蛇というよりは動物のフンのようである。おばけけむりがある程度びっくり度はあったのに、へび玉は伸びるだけ。なのに店頭では紙板に何十個か貼り付けて目立って売られていた。
小学2年生のある日、それを見つけた最初のうち素通りしていた私も、へび玉ってどうなるんだろう??と興味を持ち始め、ある時へび玉を買ってみた。小さな透明の袋にへび玉が5,6個入っていただろうか。まもなく父親とへび玉に火をつけ伸ばした。おわり。本当にしょうもないモノだった。
ところが、このへび玉、学校では購入を控えるべき商品の対象になっていたらしい。理由は覚えていないが火を使うことが問題なのか、そもそもこんな糞みたいな玩具に金を捨てるなという意味だったのか。たぶん前者の火気注意の面からだったと思う。
そんな学校のお触れ?を知っていた私の姉が、糾弾し始めた。学校でやっちゃいけないへび玉で遊んでいたお前は悪いやつだと。それを真に受ける私。姉が怖かったのだ。
怖いのを知っている姉は増長した。何かにつけて「言うこと聞かないとへび玉のことチクるぞ」と脅してきた。しまいには寝るときにも下のベッドから「へび玉!」と言ってきた。私は布団に包まって怯えた。そんなやりとりがしばらく続いた。
可笑しなものである、私は父親とへび玉をやっていたのだ。30代サラリーマン男性である保護者の監視下のもと数秒で終わるへび玉を燃やしていただけ。仮に本当に学校で禁じられているものだとしても、ある意味30代男性保護者がへび玉をやっているのを横で見ていただけに等しい。何を怯えていたのか今でもよく分からない。
へび玉で遊んでから数日後、姉がやはり「へび玉!へび玉!」と私を脅迫して困らせているのを母親が見かけ、姉にどういうことだと問い質し、何か説明していたようだが先述の通り私の単独行為ではなく、しかもそれで脅しまくっていたことに対して、姉はこっぴどく叱られていた。さすがに「ざまあみろ」と思った。理不尽な脅迫はそれ以来減ったか無くなったはずである。
振り返ると、紙巻鉄砲やかんしゃく玉だって火薬を使っていたのに特に保護者監視下で遊んでいたわけではなく(さすがに爆竹はある程度威力があったので一人では無理だった)、たかがへび玉に翻弄される私が相当愚かであった。あんないにヘボいのに。
さらに今調べたところ、昔のへび玉はチオシアン酸水銀(二価)という物質を含んでいて。発火すると蒸気となった水銀が有毒であったらしい。それを学校がこのような理由で使用不許可としていたのなら親同伴であっても遊ぶべきではなく、姉がへび玉やるなと言うのも一理ある。が、そんなアナウンスはなかったので姉は単にからかっていた以外にない、と今でも断言しよう。
へび玉は現在も製造販売中のようである(現在の内容物は安全なものを使用してるとのこと)。
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by lidth-s-jay
| 2020-09-11 13:30
| 流行
2016年 01月 16日
百人一首と6年3組
子供の頃、年末年始を挟んで百人一首を楽しんだ方は多いと思う。
端的にいえば百人一首もカルタの一種類であるが、「和歌を覚えてしまえば勝てる」という要素が強いため、上の句を覚えて、いち早く下の句の札を取れるかに躍起になったものだ。よく言われる「むすめふさほせ」のように、中には上の句一文字で下の句を当てることもでき、従ってみんなが狙ってくる(紫式部の「め~」でクワッ!!となった方もいるだろう)。逆に「きみがため」「あさぼらけ」など、初句(出だし5文字)が共通しているものもあった。もっとも暗記とは関係なく自分の好きな和歌をチョイスしてその時だけ頑張って取る、なんてこともあった(そしてそれが他人に取られるのがこの上なく悔しいことであった)。
*
その百人一首、学校でも授業の延長で数回やったことがあるのだが、よく覚えているのが中学1年生の百人一首大会でのことだ。
うちの中学校は2つの町の小学校が一緒の校区となっていたが、隣のシモイシ小学校の6年3組出身者が、妙に百人一首のレベルが高かった。
百人一首とは話が違うが、このシモイシ小6-3は、別の学校出身の私から見て、他の1組・2組に比べると「おとなしい」クラスの印象だった。どうやら3組はオジサンっぽい先生が担任で、何かと反省文を書かせたがる人だったらしい。ああどこにでも面倒な先生っているんだなあと思っていたが、加えて3組はどういうわけか百人一首に熱を入れていたようで、全部の和歌(百首)を暗記させようとしていたとか(この辺記憶が曖昧)。真偽のほどは不明だが、確かに“おとなしい”3組出身者が百人一首で豹変する姿は、なかなか面白いものを見た気がした。

私はシモイシ小でも6年3組出身でもなく、加えてカルタの類が不得意(反射神経が鈍い)だったので、百人一首は苦手だった。最初にクラスで百人一首をやって、取れた枚数に応じてランク分けし、今度はそのランクに併せて他のクラスの子と同レベル対決を行う。我々Dランクの烏合の衆がヘボ百人一首(上の句全部読みきっても取る札が分からない、など)をやっている一方で、別の教室では3組出身者を中心としたAランクの猛者がハンターのように札を狙い撃ちするシーンが繰り広げられた。同じ学年とは思えない。学年260名の頂点に立ったのがどんな子なのか、まったく覚えていない。
学校でやる百人一首は冬ではなく、夏にやったほうがいいと思う。そのほうが男子は俄然張り切るはずだ。まあカルタでもいいのだが。
※文中画像は「いらすとや」様のものを一部加工して使用しております。
端的にいえば百人一首もカルタの一種類であるが、「和歌を覚えてしまえば勝てる」という要素が強いため、上の句を覚えて、いち早く下の句の札を取れるかに躍起になったものだ。よく言われる「むすめふさほせ」のように、中には上の句一文字で下の句を当てることもでき、従ってみんなが狙ってくる(紫式部の「め~」でクワッ!!となった方もいるだろう)。逆に「きみがため」「あさぼらけ」など、初句(出だし5文字)が共通しているものもあった。もっとも暗記とは関係なく自分の好きな和歌をチョイスしてその時だけ頑張って取る、なんてこともあった(そしてそれが他人に取られるのがこの上なく悔しいことであった)。
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その百人一首、学校でも授業の延長で数回やったことがあるのだが、よく覚えているのが中学1年生の百人一首大会でのことだ。
うちの中学校は2つの町の小学校が一緒の校区となっていたが、隣のシモイシ小学校の6年3組出身者が、妙に百人一首のレベルが高かった。
百人一首とは話が違うが、このシモイシ小6-3は、別の学校出身の私から見て、他の1組・2組に比べると「おとなしい」クラスの印象だった。どうやら3組はオジサンっぽい先生が担任で、何かと反省文を書かせたがる人だったらしい。ああどこにでも面倒な先生っているんだなあと思っていたが、加えて3組はどういうわけか百人一首に熱を入れていたようで、全部の和歌(百首)を暗記させようとしていたとか(この辺記憶が曖昧)。真偽のほどは不明だが、確かに“おとなしい”3組出身者が百人一首で豹変する姿は、なかなか面白いものを見た気がした。

私はシモイシ小でも6年3組出身でもなく、加えてカルタの類が不得意(反射神経が鈍い)だったので、百人一首は苦手だった。最初にクラスで百人一首をやって、取れた枚数に応じてランク分けし、今度はそのランクに併せて他のクラスの子と同レベル対決を行う。我々Dランクの烏合の衆がヘボ百人一首(上の句全部読みきっても取る札が分からない、など)をやっている一方で、別の教室では3組出身者を中心としたAランクの猛者がハンターのように札を狙い撃ちするシーンが繰り広げられた。同じ学年とは思えない。学年260名の頂点に立ったのがどんな子なのか、まったく覚えていない。
学校でやる百人一首は冬ではなく、夏にやったほうがいいと思う。そのほうが男子は俄然張り切るはずだ。まあカルタでもいいのだが。
※文中画像は「いらすとや」様のものを一部加工して使用しております。
#
by lidth-s-jay
| 2016-01-16 16:52
| 中学校専用
2015年 07月 19日
小学校文集1984(生画像)
#
by lidth-s-jay
| 2015-07-19 22:09
| 小学校専用







