お別れ会は遠足で

 この時期になると、学校では卒業行事の他に「お別れ会」が催されることが多い。特にクラス替えが発生する直前の2年・4年ではその意味も大きなものになる。現在は平日催行なのかもしれないが、私たちの頃は半ドンの土曜日、午後に催されるのが普通だった。大抵は学校に残って弁当(これが最大のイベント)を食べた後、ゲームなどをして楽しむのだが、学校から出てさながら「遠足」になったりもする。
 今回は私が覚えている1984年3月、小学4年生の「お別れ会」について紹介したい。




 「お別れ会」は遠足と決まった。
 c0004895_18192236.jpg行き先は学校南部にある「城山」(標高409m)。その名の通り、安土桃山時代まで頂上に山城があった。学校からふもとまで徒歩で30分、そこから山頂まで1時間。3月中旬のまだ寒々しい時期にこんな「登山遠足」を強行するのには、4年生の社会の授業で郷土史を学んだこと、前年の1983年にNHK大河「徳川家康」がヒットし、戦国時代マニアが増えたことで郷土の誇り・城山へ行くことに異を唱えるものがいなかったからであろう(多分)。
 
 土曜日の午後、うす曇ながら雨の気配も無く、気温も緩んでいた。
 赤白帽子に体操服、弁当と水筒を詰めた黄色布製ランドセルを背負って、まともな山道が無いのにずんずん進んでいく若き登山家たち。かつては関ヶ原の戦いの前哨戦の舞台ともなった城山へ、サウンドオブミュージックよろしく「あの山に登れグヘグヘ」とモチベーション高く我こそ先をと急ぐ(時折登り坂を突っ走る大馬鹿者もいた)。
 
 山頂には遺構の石垣が残るのみ。公園どころか、何もない。狭い。見晴らしも木々が遮っていて何がなんだかよく分からない。それでも「城山で」「弁当を食べる」というゴージャス加減さが、皆を覚醒させていた。いや、楽しさを実感していたのは事実なんだが。
 
 担任だったガクト先生は、産休をとったアツコ先生の代理で秋から赴任してきた。
 学校内一の厳しさで名を馳せたアツコ先生のスパルタ手法をそのまま引継ぎ、新任ながらとことん私たちに規律規則をはめ、時には納得のいかない叱咤も受けた。しかし2月終わりごろには一部女子が反発行動を起こし、先生自身、少し落ち込んでる感じも見受けられた。しかし、この日の先生は実に清々しい表情で、終始和やかさを絶やさなかった。散々叱られた私にも、自分の趣味の話を披露してくれたり、嬉しかった思い出だけが蘇る。
 
 ちなみにガクト先生、漢字は「岳人」と書くのだが、もしかしたら山に登ろうと言い出したのは先生ではないかとも思えてきた(今更ながら)。だが、山登りはともかく、学年初めの春季遠足を経験せずに赴任したガクト先生、多分私たちに負けないぐらい、心からこのお別れ遠足を楽しみにしていたかもしれない。先生は翌4月から別の学校へ異動となった。

 私がいる奄美大島の学校でも、3月に教職員異動が発生する。先生たちの「島任期」は概ね3年。そろそろ異動の内示も出てくる頃、多くの先生は島から380km離れた鹿児島本土に戻っていく。
 そんな先生たちが、この時期、お別れ会で生徒たちと海辺の道を歩く姿をよく見かけた。
 異動される先生たちにとって、お別れ会は卒業式よりも大きな意味があるのかなと思っている。海辺や峠を歩く時、残り善き思い出を、先生たちは浮かべているだろうか。
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by lidth-s-jay | 2005-03-09 18:26 | 小学校専用