セツコ先生

 セツコ先生は私が中学入学した年に採用され新規赴任してきた。
 なので23歳だったと思う。1年副担任・社会科教諭(地理)。
 入部した吹奏楽部の副顧問で、主に私たちのような新入部員を指導していた。

 



セツコ先生は、可愛かった。
 小学生気分が残っている春、先生といろいろ話した。手を見せてもらって「先生って処女?」って聞いて追っかけられたこともあった。ちなみに処女の意味は、知らなかった。あと、バカ男子が「SEX!SEX!」と狂ったようにのた打ち回っている時も、セツコ先生は笑顔で「違うの!セックスは大事な・・・」と何か言ってた。
 
 地理の授業でセツコ先生がやってきた。少し緊張してた先生は自分の名前を黒板に書いた。チョークに縦書きされたその字は、中学生の私から見ても恐ろしいほど「ヘタクソ」な字だった。信じられないほど。小学生の頃、先生の字ってのはすごく上手で丁寧だった。中学に入っても、担任のヤン先生を筆頭に「大人な字」が並んでいた。その対極にあると言って過言でもない、ど下手で丁寧さのかけらもないあの字。ここで先生へのよいイメージが相当崩れた。実はダメな人間ではないか、と。
 社会科は元々好きで得意な科目だったので、授業も真面目に聞いていたはずだったのだが、1学期のある日の授業で、転機が訪れた。
 セツコ先生が黒板にヘタクソ解説を書いている最中に私が消しゴムを落とした。席から外れ机の前の消しゴムを拾い、はみかみながら席に戻ろうとしたその時、セツコ先生が
「コラァッッッ!!!!!」
と怒鳴った。すごい形相で睨まれて説教され、弱っちい私は言い訳もせずそのまま沈んで席に座った。周りは知っていたので「あれはないよな、気にするなよ」と声をかけてくれて、よけい悔しくて仕方がなかった。授業終了後、セツコ先生が私のところで一応宥めの言葉をかけてくれたが、恥をかいたことは消し去ることができず、段々憎悪に変わっていった。

 夏休みのクラブ活動も、コンクールとは関係ない1年生は基礎練習を独自にやっていた。これを仕切っていたのがセツコ先生だった。この頃にはセツコ先生に音楽的指導力があるわけではないことに気づいていて、段々いい加減になっていた。
 さらにやる気を削がれたのがセツコ先生の半袖の間から見える「剃ってから随分経つと思われるワキ毛」だった。最初の可愛いイメージは、あのヘタクソな字とすぐキレる性格、そしてワキ毛と、もう殆ど残っておらず、セツコ先生と顔を合わせるのもうざったるくなってきた。

 2学期以降はクラスもだらけ具合が激しくなり、第2次反抗期でダメな先生に対する批判もきつくなってきたが、特にセツコ先生においては「すぐ怒る」、という性格を逆利用されて、生徒がナメくさるようになっていた。挙手なし、私語氾濫は勿論、問いかけに返事はしない、挙句の果てに先生に「うるさい」「黙れ」と言うようになっていた。セツコ先生も怒り心頭となると授業を中止して出て行ってしまうことも多々あった。誰も気に留めなかった。他のクラスでは時間を見計らって複数の人間が「缶ペンケース」を落下させるというテロまで起こしていた。
 
 一方の私は確かに授業を熱心に聞こうという態度は全くもっていなかったものの、独自に教科書を読んでその時間をおとなしく過ごしていた。
 ところがある日セツコ先生から呼び出しを食らった。職員室の別室で1対1。確かに積極的な授業態度は見せてはいなかったが、クラブ活動との複合的な態度を含めた「見せしめ的」説教で、いろいろ問われたが空返事しかできなかった。それよりも、こちらを見つめるセツコ先生の鼻の穴にウグイス色のでかいハナクソ が詰まっていたのがとても気になっていた。汚い字、癇癪持ち、ワキ毛、そしてハナクソ ・・・セツコ先生の、女として(無論人間としても、)の魅力は既にゼロだった。

 完全に授業の機能は崩壊した挙句、3学期末、セツコ先生は1年で教壇から去ることになった。
 唯一若さをアピールしていたはずの長い髪もバッサリ切り、変なオバサンカットになったセツコ先生は、退職直前は部活にも顔を出さずになり「被服準備室」に配属されていた。家政系の職に就く、と本人に聞いた。終業式も終わり春休みでサバサバした表情のセツコ先生は、「もうアンタ達ともサヨナラだから」という顔つきだった。

 最後まで本当の気持ちを話すことがなく物別れに終わった私たちとセツコ先生。生きていれば41歳。少しは身だしなみはよくなったんだろうか、とその後が少し気になったりする。
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by lidth-s-jay | 2004-12-03 08:52 | 中学校専用