センター試験というスパーリング

 センター試験1日目の今日、各所で雪まみれだったそうだが、受験生は無事たどり着いたのだろうか。遅れたりしたらそれだけでパニックだろうし、会場が寒ければ集中力も欠いたり風邪ひいたりでは、せっかくの努力も台無しだ。運も実力のうちとは言いたくないのだが・・・。
 縁起悪いことばかりではいけないが、受験生のみんなもベストを尽くしつつも「2次で挽回だ」「オレは私立でも」「まあまた来年」「学校なんかより社会の方がよっぽど勉強だ」ぐらいの、それぞれのおおらかさを大事にしてほしい、と思った。

 



 1992年(平成4年)1月。高校3年の私もセンター試験を受験した。

 3年生になってからは英・国・社、私立文系三教科だけの勉強しかしていなかった私だが、三教科のみで受験できる国公立大学もあったし、何よりいきなり私立を受けるよりは、センター試験で、ボクシングの試合ぽく「スパーリング(兼・運試し)」を受けたほうがいいだろう、そう思い、国公立受験組に混ざって会場へ向かった。
 会場は地元から電車・バスを乗り継いで1時間半近くかかる岐阜市の長良高校。なんでこんな遠い場所で受験しなきゃならんのだ・・・しかし山奥の受験生は前泊だとか。やれやれ・・・。
 満員のバスに揺られつつ。天候は両日とも快晴だった。

 現在の試験もおそらく同じだと思うのだが、一番手は「外国語(英語)」。殆ど全員の受験生が挑む教科。そして一番傾斜配点の度合いが高い。いきなりの試練である。
 「本試験」ではなくても、「全国50万人近い受験生が一斉開始、という瞬間・午前9時」。それまで余裕ぶっこいてた心臓が警鐘を鳴らす。手の震えが止まらない。いきなりスタートダッシュでつまづいた。最初の3分は何がなんだか分からないままマークシートを塗りつぶす。自己採点用に問題用紙にもチェック、その「作業」。
 この日は英語だけで終了して帰宅。中途半端な手ごたえゆえ、何と言っていいものか。
 
 家に帰り、夕方ラジオで流れる解答速報を聴いてまた緊張する。さっさと明日の国語と日本史の対策をすればいいのだが、気が気でなかったのだ。正答率はやっぱり予想通りで目標以下。あーあって感じだった。
 次の日の2教科も「よくもなく悪くもなく」。ただ「とりあえずの国公立受験校」は変更せざるを得なかった。とてもボーダーラインに届かなかったからだ。本試験じゃない、とは思っていた割には「公開スパーリングで失敗・調整不足」というところで後味が悪かった。
 
 試験明け翌日の登校日、クラスの同級生、特に国公立組が「討死」、哀れであった。顔面蒼白。満足に点数を取ったのは1人だけだったような気がする。結局下方修正してみんな私立や2次試験に臨んでいった。リベンジ達成率は高かったような覚えがある。

 私はというと、極めて不合格圏にあった私立に合格したので国公立の受験はしなかった。センター試験というスパーリングの後に、なんとか「本番」で3-0の判定勝ちという感触で、受験の幕を下ろし花曇りのキャンパスへ向かっていった。
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Commented by さいこ@数2が26点 at 2005-01-16 00:01 x
センター試験。懐かしいですね。

私も受けましたが、高校が何を間違ったんだか、北大ではなく予備校が試験会場でした。縁起でもねぇと散々愚痴りました。
マークシート大好きだったので、試験自体は喜々として受けておりました。

が、大きな落とし穴がひとつ。
予備校だったせいで、手を離すとひとりでに椅子が机の中に入る構造で、私はちいさめなので足が届かず、英語を受けていて
「なんだか苦しい…」
と思ったら、椅子と机に挟まれてる自分に気が付きました。

友人がホットのリポビタンAを持ち込み、私以外はかなり駄目だったようです。私はセンターはよかったのですが、センターは形だけの実技学科を受けて落ちたので、あの2日間はまるで無駄になりました。
でも過ぎてしまえばいい思い出さ。ははは。
Commented by lidth-s-jay at 2005-01-17 18:34
私も立命館大(京都)を受験した時は河合塾でした。縁起でもない。
3学科受けて全部落ちました。

そういえば、今年の国語の評論文の問題が
第一学習社の教科書と同一文が出て、処分が検討されているそうですが
私の場合、
入学した私大の別学部で出題された漢文の問題など
まったくそのまま(抜粋は勿論、解釈の問題まで)だったという。

それに、書きませんでしたが
センターの現代文で幸田文の文章が出題される!という情報が流れていて
見事的中しました(「おとうと」)。あれはどこから流出したのか!?
もっとも私は噂だと思ってスルーしていましたが・・・。
Commented by たくぼん at 2005-01-18 12:35 x
私は共通一次最後の世代。でも、推薦が決まったので土壇場で受けなくてもよいことになりそのころはのんびりしておりました。
Commented by さいこ@元模試オタク at 2005-01-18 20:20 x
公務員以外の模試(看護婦模試まで)受けると、
どこかで見たことのある文章によく合いましたね。

教育実習で、
勉強させる進学校の母校に行って感じましたが、
大学受験に載せられる文章って、案外少ないんですよ。
現代文はまだしも、古文漢文なんて本当に少ない。
私3度か4度同じ古文の問題に合いました。
(今鏡で伊周と道長の囲碁勝負だったような)

現代文も、なかなかいいのはないんですよね。
幸田文は問題作りに最適な文章で、
この人の作品はすべて模試で読みました。

当てずっぽうで言っても当たっちゃうくらい、問題に出来る文章は枯渇している、と私は見ています。
今更どこかの掲示板のことをどうこう言っても、ねぇ。
Commented by lidth-s-jay at 2005-01-19 09:19
>ボン宅どの
共通一次からセンターに移行したのは「私学参入」を狙って、という意味を含んだ独立行政法人化云々なのでしょうかね。
まあどちらにしろ数学や理科まで勉強しなくてすんでよかったなと思う
理数系アレルギーのアテクシ。

>ヲタサイコさん
今回のセンターの大岡信なんか、学生の読解力を試すモデルケースとしては無難だと思うんです。
あとは三木卓とかね。
同じ評論で山崎正和を出すのか、といったら誰も解けない。
現代文で金原ひとみとかモブノリオを出題するようだったらネ申だな。
遠藤周作についてはなんとも言えず、よくもまあ言い当てたな、というのが本音ですが、
誰彼きっといろんな予想なんてするし、それを信じるかは受験生しだいでしょう。
Commented by 瑠璃子 at 2005-02-14 11:14 x
アタシが瀬戸内寂聴を知ったのは小学校時代の中学受験のための予備校に通っていたとき。塾から出題された問題の中にあった。ちなみに瀬戸内晴美はすでに小学校4年ぐらいのとき、習いに行っていた日舞のお師匠さんのおうち―着替えに娘さんの部屋を借りていたのだが、そこの本棚にあった―着替えが長いとよく怒られたっけ。本を読んでいたからなあ。ドクラマグラもそう。
ちなみに大学は論文だけの推薦試験で入っちゃったから、ちゃんとした受験勉強は中学時代ぐらい。早稲田大学に入ることだけが人生の夢だったあのとき…(遠い目)
Commented by 甘夏 at 2005-02-14 22:35 x
何を隠そう大学受験の時は4月の偏差値と翌年1月の偏差値が同じだったのはわたしです。受験生だけど勉強してなかったし(それで私立に行く親不孝)、高校受験はまじでなんにもしないで公立1校しか受けてないし。度胸だけはつきました。
Commented by lidth-s-jay at 2005-02-15 02:08
>瑠璃子の部屋さん
ミッチェル改め山田に宮崎吐夢の真似させてください>ワタシジャクチョオ!!
そんなことはどうでもいいけど>>1よ、スレとは関係あるかもしれないが
推薦の響きに吸い込まれて
地元でも手堅いA大学の指定校推薦を先生に申し出たら
「そういう考えはダメだもう少し頑張れよ」とやんわりと蹴り落とされました。
推薦される人生でありたい・・・。

>甘夏の友さん
確か偏差値って9月を境にガクンとレベルアップするんだっけか。
浪人生が本気汁出すから、今まで夢見る現役乙女達も愕然とした覚えあり。

私は未だに大学なんか行かずに商業科高校に行くべきだったと後悔しています。
Commented by 瑠璃子 at 2005-02-15 17:02 x
漏れ、指定校推薦じゃないぜw 一般推薦。ナンで合格したかは今でも不明。
Commented by lidth-s-jay at 2005-02-16 11:40
現在はどうか知らないんだけど、
国公立の指定校および一般推薦まであったのに驚きました。

名古屋大学(帝大)の文学部を熱く目指してたやつが
センターの点数を利用して
しゃーしゃーと同じ名大の「法学部」に一般推薦でイチ抜けしたときは
殺気を抱くと同時にでかいパイオツだけ眺めておきました。
by lidth-s-jay | 2005-01-15 21:49 | 高校専用 | Comments(10)