ウタゴエ部で学んだこと・序章

 いわゆる、コーラスである。高校時代、私は2年の春からウタゴエ部に入部した。1年の時には「だれがコーラスなんかやるかアホウ」とまで思っていたが、紆余曲折・・・というわけでもなく、あららの感じで音楽室に入っていった。
 高校生活において、良くも悪くも、ウタゴエ部での活動を思い出さずして避けられない。専用カテゴリを設けてもいいのだが、どのぐらい続くか分からないので(笑)とりあえずは出だしを書いてみようと思う。



 以前、「我こそは楽隊のうさぎ」という記事で触れたとおり、中学時代の私は吹奏楽、ブラスバンドに明け暮れる日々を過ごした。もともと音楽に触れることが好きで、聴くよりは演奏に回る楽しみを体験した。吹奏楽を続けたいがために進学先もその手で有名な商業高校に、と真剣に考えたこともあった。結局入学した高校には吹奏楽はなかったのだ。
 その高校には、ウタゴエ部の存在があった。私が吹奏楽をやってた頃は姉がウタゴエ部に所属していた。音楽と縁の無いはずの姉がどうしてまた、と思い、聞いてみれば「大会出場前の宿泊先で刺身が食えるって聞いたから入部した」と。かつて昭和の大横綱・千代の富士が「飛行機に乗れるぞ」という理由で相撲部屋に入ったという事実はあるが、雲泥の差は拭えない。
 そのウタゴエ部、私が高校入学する数年前から実力ある団体だったらしい。何せ全国大会3年連続進出。後々その実力、というより歌の力に魅せられることにはなるのだが、当時の私は「フーン」程度だった。音楽つったらまず楽器ありきだろ、という先入観があり、正直コーラスをバカにしていた。
 また、自らの歌唱については(書くのも憚られるのだが)子供の頃から自信があった。ピアノを途中でやめてしまったのを未だに後悔しているが、それを補う格好で、中学校の音楽の成績はすべて5段階評価の5をとった。向かうところ敵なし。
 だったのだが。

 高校の音楽でつまずいた。まず1年前期の筆記テスト(楽典)で10段階評価の9。これは正直仕方がないと思った。だって吹奏楽から離れて音楽やってないしとかブツブツ。
 しかし、極めつけは1年後期の独唱テスト。シューベルトの「野ばら Heidenroslein」を歌ったのだが、これまた10段階評価の9。確かに5段階評価に直せば5であるが、10段階にしたらマイナス1、というのは、女にモテナイとか勉強やスポーツがからきしダメであっても平気だった(ちょっと無理あるが)私でも、プライドを崩された形になった。

 迷った。2年でも芸術選択で音楽をとるのに、また9とか8とかだったら、もはやモヤシ程度の自分の誇りが完全に萎む。まずい。
 当時、私はどこの部活にも所属していなかった。最初ソフトテニスをやっていたが、夏休みの途中でやる気をなくして辞めて、その後帰宅部所属となった。ああ、このままくだらない高校生活かぁ・・・と思ったある日、決断した。
 
 「もういい。ウタゴエ部、入ろう」


 姉は3年の際ウタゴエ部を休部し、最後の定期演奏会だけ出た。そんな姉は私に「(ウタゴエ部に)入るなよ。あーだこーだ」と言われていたこともあって、1年の時は入部しなかった。その気がなかったのでよかった。のだが。ちなみに1年の時もウタゴエ部は全国出場した。4年連続である。
 姉が卒業したのち、2年の4月、「目標:音楽の成績に死角をつくらない」の勢いで、1年の時のクラスメイトでウタゴエ部にいたヒロツグ君に「入るわ俺」と伝えたら抱きしめられた。おい。

 そして、ついに放課後の音楽室へ突入することになる。
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by lidth-s-jay | 2006-10-16 11:40 | クラブ活動 | Comments(0)