ウタゴエ部で学んだこと・第1章

 音楽の成績が満足いくものではなかった為、修行を兼ねて高校2年の春から「ウタゴエ部」に入ろうと意を決した私、瑠璃カケスである。

 いろんな意味で、入部はスムーズだった。
 まず、中学の時吹奏楽部にいたことで、通常の楽譜なら難なく読めたこと。またこのウタゴエ部自体、男子加入数が相対的に少なく、男というだけで強い歓迎を受けること。加えて、当時3年からいなくなったとはいえ、姉が元在籍者であった為、特に先輩連に覚えてもらいやすかったこと。など。私自身も、「音楽を演じる」という好きな分野で、不自由を感じずに時間を過ごせるのは、実に気持ちのいいものだ、と思っていた。
 もっとも、あれほど入部を禁じていた姉に知れ渡った時は大変だった。「どうしてアンタは私の言うことを聞かないの!」こうなるから言いたくなかったのだけど、程なくバレてしまったのも想定の範囲内である。諦めて耐えているうち、やがて知ってる部員の話で盛り上がるようになった。

 合唱というのは、一人で歌うわけではない→みんなで歌う、という当たり前の根本を理解するのは、結構難しい。
 基本である「目立たない」も、分かっていても、なかなか体得できないものだ。例えば音程だが、音痴ではなくてもピッチ(同音階での音の高さ低さ)が違うと「目立つ」。集団で発する声の質と違う(喉声に近い)と「目立つ」。細かな拍子のズレでも当然「目立つ」。精巧な機械が奏でるぐらいの緻密さ、とまではいかなくても、カラオケで自由に歌うのとは、全く違うものが求められていた。
 最初はそれに悩まされた。2年の5月、地区の音楽会に参加した際、私は楽しげに覚えたてのディズニーソングを歌った。ところが、どこからか、私の声が目立っているという話を聞いた。いわば「邪魔な声」である。
 なんだよ直接言えよ!!と思ったと同時に、入部してからの約1ヶ月、何の気なしに歌っていた自分の、足りない部分を見事に痛感し、やる気が失せた・・・が、「頑張れば何とかなる」「あんまり気にするな」という励ましを、素直に受け取り、次の日からは早くも立ち直って音楽室に足を運んでいた。

 9月最初に催された文化祭、ウタゴエ部も何曲かの歌を披露することになった。
 その中の1曲で、私はソロ(独唱)のパートをもらった。厳密にはもう一人女声との2人で歌うのだが、どちらにしろ他の人は歌わないのだからソロと言っていいだろう。
 校内の催し、というくだけたお祭りの1シーンだったはずなのに、何度も練習した。させられた。
 自分の声と言うのは、耳のメカニズムか何かのせいで、自分で聞くのと他人が聞くのとでは大きく違う(マイクを通したり録音してみるとハッキリ分かる)。 なので、先輩に指摘されても何が悪いのか、どうしたら克服できるのか掴むのは簡単ではなかった・・・ので、ひたすら歌った。そのうち、何かしら勘がつかめたのか、「これは聴いてても気分がいい」と言ってくれた。最後まで自分は分からなかったけれど。

 確か、「夏は来ぬ」(佐々木信綱作詞・小山作之助作曲)だった。
  
 さみだれの 注ぐ山田に
 早乙女が 裳裾(もすそ)濡らして
 玉苗植うる 夏は来ぬ


 久しぶりに「一人だけで歌った」のに、半年前とは歌い方とか、変わっていたっていう実感はあった。口の開け方とかダッチワイフみたいで、今となってはもう恥ずかしくてありゃしないんだが。
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by lidth-s-jay | 2006-10-18 00:38 | クラブ活動 | Comments(0)