ウタゴエ部で学んだこと・第4章

 3年生。ウタゴエ部にもまた新しく部員が入ってきた。殆ど女子である。普通なら部活に女子が多くなるのは(変態的に)喜ばしいはずなのだがウタゴエ部に関しては「来たれ!男のエナジー!!」であった。そのぐらい、男子部員が少ない。
 そもそも、1年の春から入部する男子は殆どいない。私は2年だったし、3バカテノールヒロツグナポも1年の夏が過ぎたあとの入部、と聞いている。テノールに比べてベース(低音)は割りと早くから入部している傾向にはあるようだが。
 結果的(コンクール前)には各学年3人、パート計10人そこそこはいたような覚えもあるが、テノールの2年はなぜかエキセントリックなうひょ太郎1人だけだった気がする。

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 春そうそう、コンクールに向けての自由曲選びが始まった。
 昨年はNHK、連盟と、別の曲を演奏したが、私たちの実力がついていかないのか、今年は1曲にしぼり、2大会とも同じ曲を演奏することになった。
 目標はNHK県突破、連盟コン全国再出場のリベンジ。
 そこで、部内の意見が2つに割れた。

 ひとつはピアノ伴奏を主体にし、大きな響きが強みの、いかにも合唱らしい曲。「4分の5」拍子という聴き慣れないリズムが特徴的である。以降こちらをAと呼ぶ。
 もうひとつは無伴奏のヴォーカリーズ(楽器のように歌う方法)の黒人霊歌で、音の高低幅が非常に広く、またスピード感あふれる曲。少ない人数でも聴かせることが出来る。こちらをBと呼ぶ。

 Aは比較的コンクールで不利な「伴奏つき」、Bは「音の高低幅」がネックであった。デモテープは、私はBしか聴かなかった。音楽としてのテクニカルな部分・・・楽譜に忠実に、そして魅力的な抑揚ができるか、私たちにできるのか・・・それらも両曲に通じる難しさではあった。
 「キンキン声を出さないと無理だ。喉がつぶれる」という理由で、3バカテノールは一致してBにNOを提示、Aを推した。同じ理由でソプラノも比較的Aを推す者が多く、また逆の理由でアルト・ベースはBを推した。
 若干、Aのほうが押し気味ではあった。
 問題は、顧問の先生がBを推し、Aに対しては強い拒絶反応を見せていたことである。一応、生徒の意見が尊重されるとはいえ、実際に合同指導から演奏指揮までは先生が行うわけで、強気に出ているA側と先生とは平行線を辿った。
 部員も含めて話し合いが続き、時には激しい一面もあり(失念)、例によって泣くやつ続出であった・・・結局は投票によって決着がつき、Aが選ばれることになった。この際、少し部内の歪みが残ってしまったように思う。

 このAという曲は先述の通り、大音響にふさわしい曲調、つまりベートーベンの第9にもあるような「大合唱曲」の様相を呈していた。なので、大人数いることが強みとなるはずだったが、残念ながらウタゴエ部は多くても60人いるかいないかぐらいの中規模編成であり、それだけでも迫力不足であった。
 また4分の5拍子という慣れない奏法に、最後まで戸惑った。歌ってる私達も、音符についていくのに必死だった。指揮と伴奏と演奏がチグハグで、完成には程遠い状態のまま、コンクールに向かわなければならなかった。

 当然、結果はひどいもので、NHK(8月)は昨年を下回る評価、10月の連盟コンもなんとか地区大会には出場したものの入賞すら逃した。特に私達3年生は傷心しきりであった。
 時は大学入試も間近、他の同級生は受験勉強にかかりっきりな頃に、3年生は夏休み以降も部活に参加してコンクールに臨んでいた。
 そこまでして挑んだ、最後の大会が、終わった。

 私は、なんとなくホッとした。
 解放された気分だった。あの曲選びの頃から、次第に重苦しくなる雰囲気を感じた半年からの解放。解散後、駅からバスに乗った時の居心地の良さはよく覚えている。ついでに言うなら家に帰った時テレビで「それいけ!ココロジー」がやってたのも。

 コンクール終了の翌日、隣市のホールで合同音楽会があり、疲労気味のウタゴエ部も参加した。最初は出るつもりのなかった私も、その時の安堵感のまま歌いたかった、ということもあってやっぱり出ることにした。
 悪い言い方をすれば「ふぬけた」雰囲気のままの演奏で、多分コンクールよりも遥かに落ちる内容だったのだろうが、久しぶりに歌うことの喜びのようなものを、感じていた。それ以上に客席の人の少なさに驚いたが。1500人ぐらい入るホールに100人もいなかったような・・・。


 最後の定期演奏会を残して、ひとまずウタゴエ部から離れた。
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by lidth-s-jay | 2006-10-22 13:30 | クラブ活動