いじめについて振り返ってみる(2)私の持論

 後半は瑠璃カケスの持論を。

 いじめ被害者の自殺についてだが、死んだらダメだ、なんてことはこれっぽっちも思わない。
 親兄弟が悲しむとか、そんなのは周りのエゴだ。そのぐらい、いじめられた人間は苦しんでいる。
 死んだほうがいい、なんて思わないが、無理して生きる必要なんてない、と思っている。それも究極の選択肢である。
 ただ、例の大臣宛手紙みたいに中途半端に「死にます」などと触れ回るのはやめてほしい。たとえ本音であっても。死ぬ前にやっておくべきことは、数多ある。
 
 重要なのは「無駄に死んではならない」ということ。絶対に復讐せよ。いじめ加害者の肉体・人生をボロカスにするぐらい。とにかく、やられたことを倍返しする覚悟を持ってほしい。
 本来、いじめる者こそ、普通に生きていくことは許されないのだ。自分の過ちを、一生悔いるぐらいの重荷を背負っていけ。
 
 いじめ被害者は、負けたまま生きてはいけない。たとえ人生の終わりを悟っても、せめて一矢報いるエネルギーだけは、どうか忘れないで欲しい。



 付記:現在を生きる「過去のいじめ被害者」の方へ。
 本来、「いじめられていた子供だった」とか「いじめられた体験」を紹介することは、あたかも同情を誘うかのような表現であり、現在の当人の評価とは無関係です。過去にいじめられようが、そんなことは知ったことではありません。
 このブログの性質上、私は過去のいじめ体験について綴りましたが、本来は、現在とこれからにつながる思いと、過去を「懐かしむ」記憶の断片、それらを文に書き言葉を発していくことが、私自身の務めであり、私の在り方はないか、と思っています。
 以上、持論を述べましたが、私も自我に囚われること無く、多くの見識・体験から学んでいけたら、と思います。
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by lidth-s-jay | 2006-11-17 12:29 | 学校全般 | Comments(0)