シゲルくんのこと

 小学校よりも先、幼稚園の頃の話になる。昭和54年(1979年)。
 さすがに記憶もかすかなのだが、タイトルどおり「シゲルくん」の話を書こうと思う。そもそもシゲルくんだったかも怪しいのだが。

 
 通っていた幼稚園は小学校の付属で、1年間だけだった。
 それまで、うちの町は主に2つの保育園に分かれて通園し、付属幼稚園になって初めて町内の同年代が集まっていた。組の数は4つ、色に分かれていた。
 そのなかで、瑠璃カケスは青組。シゲルくんも青組だった。
 
 幼稚園は義務教育でもないから、突然NEWキャラが増えることもあったが大抵は入園時からの1年、ずっと一緒にいるものだった。しかし、シゲルくんと同じ青組だったのはあまり覚えがない。むしろ、途中からシゲルくんの存在を知るようになった。幼稚園児とはそういうものなんだろうか。
 そのころから既に私はあんまり群れの中に入るのが苦手で、ひとり遊びが多かったが、猫のように気まぐれなのが幼稚園児である、時々輪の中に入ったり、特定の子と遊んだりしてた。シゲルくんとも、突然遊ぶようになった。
 何か知らんがいつも照れ笑いしてて、みんなより少し背が高め、色黒でインド人のハーフだと言われても疑わなかっただろうという濃い顔。そんなシゲルくんと右手を拳銃の形にして、バン、バーンと打ち合いごっこをした、覚えがある。
 
 ある、冬の日、午後3時過ぎの「お迎え」時間で園庭でみんなとダラダラしてたところ、誰かが「シゲルがゲボ(吐瀉)した」と言った。トイレで、らしい。シゲルくんの姿は見えなかった。
 体調を崩して吐いてしまうことはよくあることで、私自身も経験があったが、あんまりその気すら分からなかったシゲルくんが吐いたことには、わずかながら心配心がさまよった。
 大丈夫かな、そう思いつつ、やがて私は母の迎えとともに家路へ向かった。


 次の朝。
 青組の教室で粘土やらオハジキやらでダラダラと遊んでいた私たちを掻き分けるように、カツミくんが声を荒げてやってきた。
 
 「シゲルがしんだ!」

 一瞬何を言ってるのかよく分からなかったが、昨日のシゲルくんの吐瀉を思い出して、程なく納得させられた。いや、納得していないのかもしれない。死ぬって?じゃあシゲルくんはもう幼稚園には来ないの?悲しみとか驚きよりも、いったいどうなってるのか、分かっていなかった。私だけでなく、みんなも。
 お昼前に、担任のトラコ先生が私たち青組の前で説明をはじめた。どんな話だったか殆ど覚えていない、けれど、「シゲルくんはね、イタイイタイって言わないで、静か・・・に死んでいったの」という言葉だけは覚えている。もしかしたら、死んだという直接的な言葉は使わなかったかもしれない。天国にいった、と言ってたかもしれない・・・私たちは、やはり泣くこともなく、ただ呆然として、トラコ先生の言うことを聞いていた。

 数日たって、幼稚園のみんなでシゲルくんの墓へお参りにいった。
 このとき初めて、死んだ人がお墓に入ることを知った。お墓参りの意味を分からず、ただの遠足のように列を作って、いつものように歩く。ふざけていると先生に怒られる。それは何も変わらなかった。ただ、行く場所が墓地で、シゲルくんがいる前で手を合わせて目をつぶることだけは、いつもの遠足や散歩とは違っていた。


 幼稚園を卒園し、すぐ隣の小学校に上がって数年後、シゲルくんの死因を聞いたことがあったが、詳しい病名は分からないままだ。ただ、「内臓の位置が健康体と真逆にあった」とか「心臓が悪かった」というところから察するに急性心不全の類なのかな、と思ったりする。
 幸いにして、その後小中とも、一緒に過ごした同級生が亡くなったという話は聞かなかった。一方で、高校では早世した同級生もいた。

 幼稚園を出てから四半世紀以上経過したが、みんなどうしているんだろうか。元気に、やってるかな。


 早引けしたシゲルくんは、天の上でもインド人と間違えられたりするんだろうか。
 きっと、もうオッサン顔だろうな。いやあ参っちゃうよみたいなポーズ、してるかな。
[PR]
by lidth-s-jay | 2007-03-18 07:37 | コドモのココロ | Comments(0)