クラミ先生との1年間(前編)

 中学3年となった春、昭和63年(1988年)4月の始業式。
 どこから情報が漏れたのか、私は1・2年のとき散々付き合わされてもう勘弁してくれと思っていたヤン先生のクラスから外れること、恋しつつも敵だった愛憎のかたまり、アンディと同じクラスになること、それだけは分かっていた。
 そして、D組からE組へと移った。先生の名前を見る。あれ?知らない。誰だ。
 この春、市内の学校から転任してきたクラミ先生だった。

 当時31歳、結婚したばかりで、クラミというのは実は旧姓である
 小4の後半のガクト先生から中2のヤンまで4年半、男の先生で、そろそろ女の先生がいいなあと思っていたところだったので、まあ丁度よかった、とは思った。
 これでもかと言わんばかりの刈り上げショートで、太ってはいなかったが(痩せてもいなかった)顔がアンパンマンのように腫れていた。同世代以上の人からみたら愛嬌のある?可愛い?顔立ちなのだろうが、中学生だった私たちは「オバサンじゃねーか」という受け止め方をしていた。

 地元の国立大教育学部出身という、典型的な先生ルートをたどっていたクラミ先生は、やはり典型的な教師、だった。なんというか、ありがちな。
 あんまり冗談は通じない、まあそこそこ明るい、最初に作った学級通信は最初の1号だけ、生活記録を提出してもハンコひとつ押すだけ。女性らしさは、というと、カリアゲのおかげで何も見えてこない。そんな先生だった。
 教科担当は数学だった。これも特別すごい授業でも、とんでもなく下手糞な授業でもなかった。ひとつ褒めるとすれば、黒板の字が上手だった。読みやすい字。以前1年でとっとと辞めた社会のセツコ先生とはえらい違いである。あれは日本語じゃなかった。

 忍耐力もあまりなくて、授業中に暴言を吐いたボス気取りの馬鹿、タイヨウに「あなた、アタマおかしいんじゃないですか!?」とまで言い放った。さすがにそれはまずいだろと思った。のちにタイヨウは2年の時の担任だったカッパ先生と廊下で面談して落ち着いたようだった。

 
 クラミ先生は3年担任ということもあり、進路のことは比較的熱心に取り組んでいたようだったが、学級運営は放置気味で、クラスの委員長選考、文化祭の演劇で何をやるか、生徒会選挙への立候補者擁立までぜんぶ生徒に丸投げし、特別なアドバイスも指導もしなかった。介入の良し悪しは分からないが、私からみたら難しいことから逃げているようにも見えた。
 一度、廊下を歩いていたら、隣のD組担任のヤン先生に拉致されて「ちゃんとしろよ、お前んとこの担任は使えんのだからお前らがどうにかしないとダメだろ」とヘッドロックをかまされた。相変わらず鬱陶しいなヤンめ、と思ったものの、確かにクラミ先生は頼りなかった。
 クラスの仲は悪いしみんな勝手だし、このまま1年間終わっちゃうのかなあと思うと、げんなり来ていた。(続く)
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by lidth-s-jay | 2007-03-22 12:36 | 中学校専用