クラミ先生との1年間(中編)

 年が変わって平成元年(1989年)1月、ちょうど元号まで変わって慌しかったころ。
 新学期が始まったとたん、なんとクラミ先生は長期休むことになった。強面で何かにつけて容赦の無い副担任のフクイ先生が教壇に立っていた。特別怒られるっていうわけじゃないのだがもうその存在が怖くて、我々はおとなしくするほかなかった。
 クラミ先生は、産休だった。腹が出ていたようには見えなかったので、理由を聞いた時は驚いた。
 しかしまあ、3年生の担任だというのに家庭計画というか、そういうものを考えなかったのだろうか。
 担任はフクイ先生が1週間程度務めたのち、臨時でマチコ先生という外部からのオバサンが入ることになった。数学はアボウ先生という休養明けの先生が入ったが、とことん人気がなかった。私は別に嫌いじゃなかったが、確かに顔がヤバかった。

 どちらかというと私は、鼻につく喋り口調とかしつけにうるさかったマチコ先生に馴染めず、反抗期むき出しで顔をそむけていた。しかし、ある時点で心を切り替えて、わりと素直にマチコ先生の言葉を聞き入れるようになった。

 そして2月、クラミ先生は流産した、とフクイ先生が教えてくれた。そして10日ぐらい経過したのち、クラミ先生は再びクラスに戻ってきた。
 どういう気持ちだったのだろうか、そのときは子供を産むことをよく理解できなかった私は「ふーん」ぐらいにしか思っていなかった。クラミ先生も、久しぶりの教壇で「まあ、また主人と頑張って産もうと思います」と笑いながら言っていたが、本当は、いろいろ抱えるものがあったのかと思う。
 
 とはいえ、私たちの興味事は来月に控える高校受験にあった。また普段どおりの時間割、授業が流れていった。

 しかし、私は少し事情が違った。
 秋の後期生徒会執行部選挙で、私は生徒会長に選ばれた。名誉ある職であるが、その実は特別なこともせず、またそのことを執行部担当のキシロウ先生(A組)、また他のクラスの連中から批判され、半ば気持ち的に参っていた。思えば、いろんなやつに担ぎ込まれて、半ば強引に立候補させられた形だったが、その時も、そのあとも、クラミ先生は「いいんじゃないの」という傍観視を決めてかかっていた。全く頼りにならなかった。
 クラミ先生にしてみれば、「放っておいても君は楽天的だからなんとかなるでしょう」というスタンスで見ていた。それアンタじゃないかよお気楽なもんだ、と、頼ることのできない担任の下にいることを、本当に悔しがった。

 直前の高校入試模擬試験で、私はかなり成績を落としていた。おまけに3年のときから好きになった子に告白して見事に振られて、身から出た錆とはいえ、段々と自暴自棄気味になっていった。
 私立高校受験前の、2月最初のことである。
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by lidth-s-jay | 2007-03-24 07:54 | 中学校専用 | Comments(0)