少年易老学難成?

 現在職業訓練で事務系専門学校に通っているのだが、ワード、エクセルといったPC学習と、簿記検定受験コースというのも受講している。同じ学校だし補助も大きいので気楽に受けさせていただいている。



 ただ、後者の「補助」は、どちらかというと、担当の先生(事務所のヌシ)の仰る「受講料はともかく、勉強したことを就職に役立ててくればOK牧場」的な考えの表れである。休校日も学校は開放されPCは使用できるし宿直の先生には質問し放題(かどうかは分からないけど今ンところは教えていただける)、出所した後も基本的に出入り自由、無料体験学習はどうぞお気軽に、など。
 午前9時前から午後9時まで缶詰になることもあるが、やっていることが面白いからか、疲れは感じるものの充実感に変わっている。これがいずれ自分の力になることを信じて日々努めている昨今、と。

 さて・・・いつものように前説が長くなったところで、今回は大学の講義についてお話しようと思う。1992年~1996年、トータル4年間の「くだらない日々」の一部を。

 私立大学だったので授業料はバカにならない。確か半年で40万以上納めていたと思う。親が出してくれたが、その度にため息交じりで渡される気分は、とても苦いものだった。だったら早く就職させろよと思ったりもした。
 そんなバカ高い授業料の対価としての大学、特に講義は「実につまらないもの」が殆ど。あんなもん誰かの本をそのまま講読して適当にレジュメにまとめて配布して終わりじゃねえか、という授業が多かった。話し方が上手な先生のは確かに現在でも役に立っている。熱意があるかどうかは学生にも伝わる。一部だけなんだが。

 で、思ったのは、殆どの授業が出席を取らなかったので、もしあの頃、他の学校や同年代の連中が紛れていても全然分からない。つまり、いざとなれば「無料で受講できる」のだ。他の大学は知らないのだが、少なくともうちの学校(女が多いので偏差値だけは立派だった)はそうだった。ゼミナール以外の授業は4年間間違いなく受講できる。法学部だったのだが民法だの刑法だのぜーんぶタダ。ちなみに本当に授業を聞きにきてた輩もいた。しかも「キリスト教講義1」。興味本位で来た男は私の幼稚園以来の同級生だったことも付け加えておく。

 で、当の学生は殆どがサボっていた。テスト前にクソ真面目に授業出てた奴のノートを借りて情報を聞き出せば大抵の授業は単位を取得できる。法学部に居ながら法律科目が嫌いだった私はとことんサボりまくった。まあなんとかトントンで卒業できたけれど、4年間合計で400万円以上の大金を叩いて得たものは「大卒」という資格だけなのかもしれない。しかしそれがまかり通ってしまうのがこの世の矛盾ではないかとも思ったりする。
 もちろん、先ほども書いたとおり、講義から学んだ事柄も少しはあった。また図書館の書庫から本を抜き出して論文を作ったりしたのは楽しかった。だけどそれらは必ずしも大学生という条件は不要ではないか?と思う。就職や周囲からの評価以外の「資格」の他に、一体何が残るんだろうかと未だに疑問が絶えない。授業を受けないバカ学生、まともな授業ができないバカ教授、どちらも許してはいけないだろう。
 
 少年老いやすく学なりがたし、ということわざがある。若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、何も学べないで終わってしまう、だから若いうちから勉学に励まなければならない、と。
 そんなことはない。勉強はしたいとき、自分が勉強したい時にすればいいのだ。大学も、別に20歳までに入らないとダメなんて事は一切ない。そんなに人生を急がなくても楽しいこと、幸せを感じる事は転がっている。自分が2度退職したから言うわけではないけれど(泣)

 私にとっては大学の4年間よりも今の方がとても充実している。
[PR]
by lidth-s-jay | 2005-02-09 00:03 | 学校全般