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えぬ先生の思い出(中編)

(前編からお読み下さい)



 
 冷たい男、えぬ先生の持ち教科は数学であった。
 SHR(ショートホームルーム、朝会)で連絡事項を伝えた後、1時限目が数学の場合はそのまま授業に入る。普段なら淡々と授業が進められる。なお、えぬ先生、教科担当としては割りと分かりやすい授業だったように思う。一見「出来ないヤツは落ちこぼれろ」と言われそうな雰囲気がありそうなのだが、そういうわけでもなく机間巡視でコマめに出来栄えを確認して、ダメそうなら根気よく教えてくれていた。

 この辺で少し訂正をしておきたいのだが、えぬ先生、SHRの続きが数学授業の場合で、仮にSHRでの議題(文化祭の出し物から各委員選考など)が未決の場合は、自分の授業を割り込んででも生徒に決めさせていた。我々が妥協とか他所事に走ろうとすると「ダメだ、ちゃんと話合って決めなさい」と突っ込む。
 要するに、ああ見えて(?)学級運営にはそこそこ熱を入れているつもりだったのだ。鉄仮面はそのままだったけれども。
 もともと地味な連中の集まりだった我がクラスだったし、最初が最初だっただけにえぬ先生の熱意?は届きにくいものはあった。ただ、次第にえぬ先生のひととなりが分かってきたのか、また、えぬ先生も、最初の肩張ったモードから、日に日に柔らかくなっていった。生徒が数学の問題を懸命に解いている間廊下に出てすりガラスにへばりついたり、昼前の授業ではわざわざ腹の虫の音を聞かせたり、わりと変態じみていた。顔色一つ変えずに。



 夏の終わりの文化祭。
 我がクラスの出し物は極めて貧弱で(町のジオラマ・・・見ねえよ)、夏休み、クラスの連中で製作手伝いに来るのはまばらだった。私は暇人だったので割と出席率はよかったが、出るだけだった。なんかやってることよく分かんなかったし。
 しかしそれでも、えぬ先生は手を抜かなかった。別にジオラマ好きって感じでもなかったのだが率先して製作に手を入れていた。あまりにも客の入りが悪すぎたことを少し?嘆いていたがそこそこ満足げに出来栄えを眺めていた。
 後にこのジオラマを貰ってくれるという奇異な方がいっしゃったようで、多分感無量だっただろう、えぬ先生も。

 えぬ先生は、こういうクラス仕事が、どうも好きだったらしい。受験・成績至上主義のスパルタ教師、ではなく、「クラス行事に参加しないやつが許せない」という、最初では考えられない担任っぷりだった。

 文化祭準備でわりと顔出した私は、有難いことにえぬ先生の受けはよかった。但し担当教科の数学に関する温情は一切抜き。そのぐらい出来栄えは、悪かったのだが(偏差値で40真ん中ぐらい)、それを直接咎められる程では、なかった。三者面談では「うん、まあ、あと数学をね」と言われたぐらいだった。(つづく)
by lidth-s-jay | 2007-06-02 06:49 | 高校専用